参考書と問題集の性能を正しく引き出せているか?—国語力の重要性【勉強法】

いくら評判の良い参考書であっても、読み手の国語力が不十分では活用できません。勉強は無理してやるものではないというより、無理してやったところで何も身につかない現実を考える必要があります。

目次

参考書と問題集に取り組む前に

 今回の記事では勉強が苦手な子供や大人に向けて、参考書と問題集を効果的に使うための国語力の重要性を綴っています。私は大学受験を独学で乗り切ったため、自分の考えと情報収集に基づいて、目標の設定から勉強計画、必要な参考書と問題集を買い集めて取り組んでいました。

 しかし、当時の乏しい国語力から自身の非効率的な方法に気づけなかったり、受験を戦略的に捉える視点が欠けていたりと苦労した記憶があります。現在はyoutubeやSNSで簡単に情報収集できることが羨ましくも思います。もっとも今の時代は正しい情報を選択する難しさはあるでしょう。必ずしも大量の情報にアクセスできることがより良いとは限らないかもしれません。良くも悪くも限られた選択肢だったからこそ、集中できていた面はあったように思います。

勉強が苦手になる原因は国語力という仮説

 勉強が苦手になる原因は様々ありますが、その一つに「難解だから」と考えました。

 何が難解なのかというと、文章です。

 国語は数ある教科の一つという印象を抱いているかもしれません。しかし、国語はあらゆる教科(科目)の基礎と言っても過言ではなく、私たちは学校の授業を受けるにしても、参考書を読むにしても、常に日本語の文章と触れ合っています日本語で介される以上、文章を通じた読解力と思考力が影響を与えないものはないのです。

 よく幼い頃から本を読む意義が説かれますよね。子供にとって難解に映る文章の理解は容易ではないものの、文章との触れ合いを通じて得られる知らない言葉や論理の輪郭、他者の感性は特に中学校、高校と難易度が上がったときの下地として実感するでしょう。逆に言えば、明らかに勉強についていけなくなったり、文章の難易度が上がらなければ気づけないものかもしれません。

 中学校では小学校の範囲を、高校では中学校の範囲を全て終えている前提で授業は進みます。進学は文章の難易度が大きく上昇するタイミングでもあり、そのまま勉強からフェードアウトしてしまう子は多いはずです。中学校や高校から始めても遅くない科目があろうと、そんな科目に対しても国語力によって足を引っ張られる可能性があります。

参考書を読むための国語力を十分に備えているか?

 子供にしても大人にしても、日本語で書かれてある文章を甘く考えてしまいます。勉強を頑張ってきた子供や大人は現代文の成績から自分自身の読解力や理解力の問題点に気づきやすいのですが、そうではない人はどうしても国語力を軽視しがちです。

 これはテキストと動画の違いで述べたような無意識の学習差に加えて、日本人なのだから日本語の文章は読めて当然という先入観を誰もが持っている点も作用しているでしょう。

 しかし、文章で使用される漢字や慣用句、全体の論理構造、筆者の主張を正確に理解できているでしょうか。わかりにくい箇所を無意識に飛ばし読みしていませんか。

 

 この図のように不十分な国語力のままでは、参考書や問題集に取り組んでも十分な効果を挙げられません。多くは丸暗記に近い状態に陥り、暗記=勉強と勘違いするまでが失敗の典型例です。自身の国語力よりも高いレベルの文章に気づけないと、非効率的な学習を繰り返し、挙句の果てに自分には勉強の才能がないと思い込んでしまいます。

 評判の良い参考書にもなると、さぞ使いやすくて成績向上させてくれるのだろうと他力本願にもなるでしょう。それではますます自身の問題に気づけません。参考書は力をつける内容ほど読み手を選びます。簡単でわかりやすい参考書とは、情報量が少なく、わかった気分にさせやすいだけかもしれません。※これもこれで大切ではある。

 思考力の成長のためには理解できないものを理解しようとする過程が不可欠ですが、筋トレのように汗をかく苦しい感覚を伴う場合もあります。普通はそんな辛い時間を誰もが味わいたくありません。ましてや国語力の不足から難しさを何倍にも膨らませてしまったら、諦めるのも当然です。

 皆さんの周りにいた頭の良い子はどんな子でしたか?幼い頃から勉強が得意な子供の多くが国語力を備えていたのではないかと思います。少なくとも書かれてある文章に抵抗感がなかったはずです。文章を読むことすら重い腰を上げなければならないとしたら、学習効率の差は言うまでもありません。

国語力向上のための具体的な方法

 では、実際に国語力を向上させるにはどうしたら良いのか?というと、中学生レベルの国語(漢字の書き取りを含む)からはじめ、できたら高校生レベルの現代文を解くことです。

 文章から理解を促すためには、文章で使用される単語のうち最低でも9割程度は備えておく必要があります。もし、参考書で用いられている単語が読めない、あるいは読めても理解が伴わないときは以下の参考書や問題集に取り組みましょう。

 語彙力は[中学]国語力を高める語彙1560[中学]国語力を伸ばす語彙1700などがオススメです。

 漢字や慣用句は、漢検2級漢字学習ステップ 改訂四版入試漢字マスター1800四訂版入試に出る漢字と語彙2400などがオススメです。漢検2級は常用漢字を全て網羅している上、対義語、類義語、同音同訓異字を学習できるので使い勝手が良いと思います。

 しかし、大人の学び直しでは英語なら英語から取り組みたい人もいるでしょう。その場合、必ずしも国語に取り組まなくとも、以下のような手順で国語力を向上させられます。これは管理人の実践例でもあります。

1.参考書の文章でわからない箇所があったら、その原因を明らかにして調べる

2.別の角度からも理解できるように他の参考書と比べる

3.改めて文章を読み、さらに時間を空けて復習する

1.参考書の文章でわからない箇所があったら、その原因を明らかにして調べる

 この場合の「わからない」とは文章を読めないに近い意味です。例えば、社会のような教科は漢字と専門用語がずらりと並び、文章を読むだけでも四苦八苦します。読めたとしても理解は伴わない。頭の中でわからない、理解できないという不快な感覚が消えるまで調べ尽くすのです

 英単語にも言えることですが、単純な知識を備えるだけでは足りず、文脈と共に習得するのがベストということは覚えておいてください。文章に触れるだけでも成長しています。

2.別の角度からも理解できるように他の参考書と比べる

 重要な点は参考書の説明を鵜呑みにしないこと。読んだまま終わりにしないということです。常に一つの角度からではなく、多角的に捉える習慣を確立しましょう。同じ事柄に複数の参考書を用意する人は少ないかもしれませんが、そこは大人の学び直しの特権でもあり、新品でも中古でも最低二冊はあっても良いと思います。

 どうしても一つの角度から得られた知識は応用が利きません。丸暗記に近い。理解に近づけるには文章に対して疑問を持ち、頭の中で揉む作業が必要です。「AはBである」だけではなく、「AはCではなく、Bである」や「Cと勘違いしやすいが、AはBである」といった言い回しの小さな違いでも知識は柔らかくなります。

 例えば、人間関係においても、自分の視点からのみ捉えるのではなく、相手や第三者の立場を想像するなどして多角的に捉えた方が理解は深まりますよね。一つの視点から捉えたことで思い込みが生まれ、相手に事情を聞いたら勘違いだったなんて経験は誰しもあるはずです。学習においても曖昧で速く進むより、遅くとも確実に進んだ方が良いことは間違いありません。地固めの方針として参考にしてみてください。

3.改めて文章を読み、さらに時間を空けて復習す

 知識を獲得した直後に改めて文章を読み、以前の理解できなかった状態からの変化(成長)を自覚します。そして、時間を空けて復習します。ここまでが知識の柔軟なインプットです。さらに意識して言葉にしてみたり、入れた知識を引き出すアウトプットによって獲得した知識はよりいっそう理解に変わります。

 以上の手順を実行すれば、参考書のわからない箇所と出会うたびに国語力を向上させられます。勉強や学習はわからないときにどうするかが全てと言っても過言ではありませんね。

 応用可能性の高い柔軟な知識=理解と言っても良いかもしれません。目指すべきは単純な知識の獲得より、理解です。学習は知識偏重になる事情もありますが、目的の多くはアウトプットということを忘れないようにしましょう。物を知っているより、物を使いこなせる方が複合的な能力を要求される分、価値があると言えるのではないかと思います。

国語力を備えれば、学習は大きく変わる

 勉強や学習が楽しくない理由は難解だから。他方で遊びが楽しいのはわかりやすいから。単純ながらこの理由は的を射ているのではないかと思います。多くの人間は楽しもうと思ったとき、自分にちょうど良いものを選びます。体力にしても思考力にしても、過度に要求されるものは楽しめないことをわかっています。

 一度でも勉強に躓くと、時間制限のある学生時代に挽回するのは大変です。しかし、躓いたからと言って勉強の才能がないと諦めるのは早すぎる。国語力の向上から考えれば、大きく変わると管理人は思います。また、このことからは大人になって勉強の価値に気づける理由もわかりますね。子供の頃より秀でた日本語能力によって、参考書に書いてある文章を理解できるからです。理解できるなら楽しい。

急成長は国語力をはじめとした下地があるから

 受験業界では短期間での成績向上が宣伝文句として謳われ、最近ではyoutuberによっても増えました。実際に短期間で成績向上させる術がないこともないのだろうとは思います。記憶法の類は改善できる余地を感じさせます。

 とは言え、基本的には適切な方法の継続が最も重要です。自分に合っている方法ならなおのこと。それは間違った方法を繰り返す場合に比べて何倍にも差が開くでしょう。例えば、筋トレだってトレーニングの強度だけを上げて、全く栄養補給もしなければ筋肉はみるみるうちに減ってしまいます。適切な方法で取り組まなければ、いくら一生懸命に頑張っても効果は得られません。

 そして、急成長の陰には、国語力をはじめとした基礎があることも忘れてはいけません。受験勉強では口が酸っぱくなるほど基礎の重要性が語られているのも、基礎さえ固まっていれば、基礎を固められる能力があるなら、おおよそ標準~発展レベルまでは適切な順序で取り組むことで伸びるからです。

 国語の基礎的な性質から「やるか、やらないか」と言えるなら選択の幅は広いものの、「やってもできない、やらないなら当然できない」という状態は人生の気力すら奪ってしまいます。

 なお、そうした宣伝文句を目の当たりにしたとき、なぜそう言えるのか?と疑問を挟み、思考する習慣は必ずつけましょう。玉石混淆なのは間違いなく、自分に合った学習方法を模索する上でも重要な視点になります。特に大人になって学び直しを考えるならば、こうした思考そのものが不可欠です。

理解できる楽しさから習慣は確立していく

 人間は楽しさに導かれます。勉強に導かれないのは楽しくないから。なぜ、楽しくないのかというと、文章を理解するのが大変だから。確かに無機質なテキストに比べて、華やかで変化も多い物事の方が楽しく映る気持ちもよくわかります。

 しかし、大人になって様々な経験をしてきた中で言えることは、勉強や学習を通じてしか得られない理解と成長の感覚がありました。新しいことを知る楽しさ、思考力の成長を実感するには随一の物事です。参考書の効果を引き出す国語力とは、国語力によって勉強が楽しくなる方法とも言い換えられます。

 もっと言えば、勉強の楽しさを見つけるためにも、実は勉強以外の物事も重要なのです。大人になってから学び直す意欲が高まるのは日本語能力の他、勉強以外の物事に取り組んできたからこそと思います。勉強以外の物事を経験して、勉強でしか得られないものに気づいたのです。

国語力を実感したエピソード

 最後に、友人に関するエピソードを一つ紹介します。その友人は地方によくある普通の公立高校で、学習塾にも通わず、参考書も買わず、高校の授業と課題だけで難関大学に進学しました。勉強を特別頑張っていたわけではなかったのに、普段から定期テストも模試も高い水準でまとまっていたのです。

 ただ、出会った頃から「物事の説明が上手だったこと」「わからないところをそのままにしておくのが嫌だった」という性格をよく覚えています。おもしろいマンガを薦めても読むのが遅いのです。今にして思えば、読むのが遅かったというより、その性格から理解に努めていたのだろうと思います。理解に真摯だったことから物事の説明も上手になったのでしょう。説明できるは理解の証

 そこから勉強法や参考書は数多くあれど、人間としての基礎的な能力(言語)と性格が及ぼす影響の大きさを実感しました。勉強は普段からの積み重ねが大きく、意外と東大に合格するような子供であっても勉強ばかり、塾ばかりではなかったりします。合格する子の多くが現実的に届く目標だったというパターンなのではないかと思います。

 そして、ここまで国語力の重要性を説いてきましたが、また別の記事に繋がる動線を張らせてください。国語力は全ての基礎ですが、もう一つ重要な能力を育む教科があります。それは数学です。数学だけはいくら国語力を高めても対応できない可能性があります。つまり、それは数学で求められる能力が国語と大きく異なるということ。等しく育まれる能力も。

  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次