2025年今後紹介したい参考書3選

加筆修正の履歴

2025/01/05 目指すは知的自立の読みにくい箇所を修正しました。
2025/12/31 目指すは知的自立の導入部分を修正しました。
2025/12/30 冗長的で読みにくい箇所を削除しました。
2025/12/29 目指すは知的自立の文章の一部を読みやすいように修正しました。

今後紹介したい参考書3選

 高校課程までの有力な参考書はすでにそれなりに紹介していますし、今はAIによって参考書の選別にそこまで神経質にならなくて済みます。教科書も優秀ですから。参考書そのものよりも学ぶ意欲を高める書籍を紹介した方が建設的な気もしています。主体性が発揮されたら、あとはAIでも参考書でも先生に質問するでも何でもできてしまうからです。

 また、本ページでは実験的に「勉強の意義について」綴ってみました。当サイトが目指す勉強の目的とは何なのか。単なる受験勉強による偏差値向上ではなく、全ての大人たちに勉強に取り組んでほしい、少なくとも好きな科目を見つけて生涯にわたって続けてほしいと思う理由の一つを書いています。

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 TOEFLから初めて公式の単語帳が出版され、その完成度の高さから気になっています。現状、いくつか誤植が報告されているので購入を見送っていますが、2026年以降で機会があったら購入したいと思っています。おそらく本書の利点は『鉄壁』のように一つの単語の関連語・派生語にも力を入れているところにあり、単語運用力を向上させる単語帳として高く評価できることです。知識のネットワークが構築されやすい。

 大学受験以降はTOEICに取り組む人が多いのですが、論文や洋書を読む際にはTOEFLの英単語が力になります。単純にTOEFLの方が総合的な英語力を測る試験としても評価が高く、TOEICが特別必要でない人、漠然と英語力向上のためにできることを探している人はTOEFLの勉強に移行するのがオススメかもしれません。ただ、受験英語のあとは口語表現や句動詞など日常会話の切り口からブラッシュアップする方針が大多数の需要には合致していると思うので、本書よりも『DUO elements』の方が圧倒的に優先されます

 基本的に日本人の英語学習はそこまで力を入れれば良く、当然ながら本書は海外の大学・大学院への留学を考えていなければそこまで必要ないと言っていいものです。個人的にはTOEFLを土台にすると、新しい英語学習の道筋が構築できそうなので注目しています。大学入試という枠組みではなく、最初からTOEFLを枠組みに設計した方が実践的であるなど。イギリス英語に興味がある人ならIELTSも良さそうです。

英語の日常会話に必要な単語と文法の知識面だけで言えば、英検2級でも全く問題ないと感じています。重要な論点は、英検2級までの知識をどうやってブラッシュアップするかです。単語運用力が向上する単語帳はその選択肢の一つということ。

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 問題をパズルのように解いたり、計算したりすることが苦手な人は国語的に数学の理解を深めたら良いのではと考える中で、遠山啓先生の書籍は万人に比較的薦めやすいものになっています。どうしても学校教育の数学は問題を解くこと、入試を意識した参考書も多いため、学び直しの意義を感じにくい人がいるかもしれません。数学の各用語や概念の解説を読んでも、自らその奥深さを探らないと本当にただ計算できるようになるだけと直感してしまうでしょう。そこで本書のような書籍に目を通すと、数学の奥深さに気づける視点を得られるかもしれません。文系人間ほど遠山啓先生の書籍を入り口にすると数学を好きになりやすいと思います。

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 これは国語便覧や歴史の史料集のように、非常にコスパの高い参考書として気になっています。教科書の補助教材の史料集と何が違うのかというと、本書は「文書史料」が中心と言ったらわかりやすいかもしれません。一般的な史料集には掲載されていないものも多数収録されています。歴史科目の勉強は志望校によって大きく異なるので本書が必要ない現役生もいるとは思いますが、大人の学び直しとしては知的好奇心を刺激するところがあり、世界史を楽しんで勉強する意味では優先度を高く設定しても良い気がします。

 ここで軽く紹介できたことに満足してしまっていますが、遠山啓先生のような一般書を取り上げていくことも今後は増えていくかもしれません。2025年現在、AIによって理解に必要な時間が大幅に短縮しただけでなく、効果的な勉強法と参考書も十分に揃っていますから、もう完全にやるかやらないかの次元になってしまっているからです。であるなら、学ぶ意欲といった人間らしい部分を刺激する良書を探す方が建設的と考えています。魚の釣り方に気づかせてくれる参考書が重要。

 大人の学び直しを含み、勉強の一つの目標として大学偏差値60程度(基礎~標準)まで勉強できれば、それ以降は他人の手をむやみに借りなくとも、自らの手で効率良く成長できるようになっていくはずです。細々とした知識はいずれ忘れてしまうとしても、その勉強によって掴んだ成長のプロセスは人生が終わるまで活用できます。ちなみになぜ偏差値60か。これは体感もありますが、各種資格試験や就職実績などの出身校別の合格率等を鑑みたとき、第一の有意な差がそのあたりにあるからです。さらに上を見ればまた変わりますが、最初の目標としてはわかりやすいでしょう。後述する知的自立に至るかどうかも肝要です。

勉強は基礎学力(教養)が社会を生きる上で重要な分野へのアンテナにもなっているので推奨していますが、人間の行動力は興味関心によっても大きく支えられている、つまりは自分が夢中になっている物事で問題解決を繰り返す方が伸びしろはあります。ゆえに小中学生には勉強を強く推奨するよりも、夢中になれるものを見つけて、その中で必死に考えながら頑張ってみるのもありです。現実的にそんなバランス良く能力を伸ばせる人なんていないとも言えますし、義務的な勉強として偏差値60くらいまでなら高校生活だけで挽回できるとも言えます。

どういう大人になりたいか、どういう大人でありたいか

 勉強とは、ペーパーテストで高得点を獲ることが本質ではなく、思考の修正作業を繰り返すこと、延いては社会や人間関係における問題を正確に捉えたり、社会(他人)に貢献するための製品やサービスを創造したりとある目的に対しての手段に過ぎません。社会的な生産性のない勉強に意味がないと言いたいわけではなく、多くの教育的な場面で語られる勉強とは、社会を生き抜くための有力な手段として位置づけられているということです。極端に言えば、全く勉強せずに大人になったとしたら、文字も読めない、会話もまともにできません。

 そして、当サイトが学び直しを謳う理由は、大なり小なり勉強不足の学生時代を過ごした大人が社会的に重要な意思決定を行う立場、例えば子供の第一の教育者である親になったとき、簡単に子供を路頭に迷わせるだけの決定を下してしまうことがあるからです。他人の悪口ばかり言う親の姿を真似て、子供が学校でいじめの加害者になるなんてことだってあり得ます。他人への加害は社会が歪みます。あってはならないわけです。これは単なる計算ができたり、覚えたりする狭義の勉強だけではなく、それを通じたもっと広義の、思考的な態度とも言うべきものを適切な形に進めるまでを含んでいます。思考的な態度とは、物事を多角的に考えたり、他人を尊重したり、感情を理性で抑えたり、結論を急がないことなど。

現実には生物的な個体差がある以上、脳機能の問題やその他環境による複雑な要素も考慮に入れる必要がありますが、多くは思考訓練によって打破できるのではと考えています。必ずしも大量に覚えたり、難問を解かなければならないわけではありません。

 要するに、思考を正しく展開できるようにすること。全く根拠のない非科学的な論理を鵜呑みにしたり、客観的に考えられなかったり、感情や欲求、バイアスに振り回されたりといった態度を自省的に改善していくことは勉強(学び)による成長が最も効果があると考えます。勉強以外のスポーツなどでもそういった成長は見込めますが、やはり思考に特化した勉強だけに得られる経験値の多さは随一と思います。例えば、客観的に考えるとき、そもそも「客観」という言葉を知らずに客観的に考えることはできるのか。言葉と思考が密接に関わっているとすれば、言葉によって思考が開拓され、その開拓の果てに自分を俯瞰する自分まで至れるという理屈です。これは一例に過ぎませんが、人間として生きる上で正しい思考を獲得できなかったときの損失は個人から連鎖する以上、社会的に見ても非常に大きなものと感じています。他人から簡単に騙されたり、感情のまま傷つけたり、暴力で解決したり、自己正当化ばかりに囚われたりといった次元で生きることには反対ということです。

これらは勉強のみで解決するものではなく、家族や友人との関係を通じて育むところも大いにあります。しかし、もしそういった関係に恵まれなかったとき、勉強という意識的な修正作業にしか望みを託せないかもしれません。特に心配なのは大人です。子供たちは社会がまだまだ温かく歓迎しているだけに救われやすいのですが、大人は他人を頼れない立場に置かれやすく、とりわけインターネット上には余裕のない大人の姿が散見されるでしょう。居場所を求めすぎた結果、おかしな考え方に染まってしまったり、他人に執着したり、何をどうしたら良いのかわからないまま彷徨ってしまうくらいなら、勉強のような積み重ねに時間を注いだ方が建設的です。

目指すは知的自立

 正しい思考を備えて努力の方向性を間違えないようにしないと、路頭に迷ってしまうかもしれません。無駄な努力だったとは言いたくないものですが、自分自身に対してそのように悔やむことはできる限り避けたいところです。共通テスト前ということもあり、受験勉強の意義は「知的自立」にあるという点にも触れておきます。

 受験生は偏差値や学歴、志望校に囚われすぎるところがありますが、個人的に受験は思考訓練の場に過ぎず、第一に目指すものは「知的自立」です。知的自立とは、一言で言うなら生産性(建設性)のある思考作業を自立的に行うこと。自らの手で知識を拡張したり、誤りに気づいたり、別の角度から考えたり、自分で自分の思考力を成長させるられるかどうかは人生の大きな分岐点になります。これが行えるようになると日常の問題、例えば人間関係や仕事、商品の選択、就職活動、病気の予防などあらゆる場面で役に立ちます。生活の質が大幅に向上します。その都度、自らの手で知識を得て応用できるわけですから、時代の変化にだって対応しやすくなります。これが習慣的にできるようになったら「受験勉強は成功した」と言っても良いくらいです。

では、なぜ知的自立に受験勉強をはじめ、高校課程の学び直しが良いのか。それは難易度として無理がなく、人間や物事を考える上で重要となる視点が科目として揃っているからです。思考の受け皿としても十分。単純にすぐ完了するものでは思考を高めるには物足りず、思考に働きかけることがあったりなかったりするものでもなく、常に社会の幅広い分野から頭に問いかけていく営みは勉強以外になかなか思いつきません。

 ただし、これらは一定の思考訓練を経験しないと、ブレイクスルーが起きません。今までの自分が恥ずかしくなるくらいの成長を実感することが重要です。なんとなくやった程度では忘れてしまいますし、単なる知識のままでは思考の成長にあまり寄与しないからです。理解できない事柄を粘り強く考えて理解し、問題を解くことによって無意識に培われる思考の積み重ねに意味があります。「別の角度から考える」というメタ的な思考一つにしても意図的に引き出せるようにするには思考に癖づけるための習慣化、できたら受験勉強のように集中的に、それが難しければ1科目ずつ趣味として取り入れるのがより良いのではないかと思います。逆に人間はそうした癖づけをしないと、瞬く間に「自分」という視点のみからしか語れなくなってしまいます。

世の中には学びが溢れています。それらがひとつひとつの視点となったら、年齢を重ねるほど人間としての深みも増していくはずです。世の中の行動を消費型と積み重ね型の2種類に分類すれば、勉強は積み重ね型です。積み重ね型の刺激は緩やかですが、長い時間をかけて頭と身体に浸潤して中身をつくります。どんな分野でも積み重ねた人間の言葉は他人の心を動かすほど重い。皆がそうあるべきとまでは言いませんが、1度しかない人生をより豊かにするには積み重ねる何かに取り組むのは非常に有意義なことだと思います。

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