はじめに
【対象】
・偏差値60未満の高校に通う現役生
・基礎固めに苦労している浪人生
・勉強が苦手だった大人
【到達】
・MARCH、関関同立、準難関国公立(筑波、神戸、横国)まで
・入試基礎~標準までを固められる
・生涯にわたり勉強を手段にできる
本ページでは東京一工や旧帝大、早慶、医学部のレベルは扱いません。高校偏差値60未満から四年制大学を受験する層を対象に、(再現性が高いであろう)大学偏差値60~65に到達することを目標にします。高校偏差値65以上の進学校になると、本ページの内容はあまり役に立ちません。そのレベルなら学校や塾の優秀な先生の言うことを聞き、本人の努力で相応の大学に合格できるはずです。その一方で自称進学校の場合、役に立っても実行の余地がないかもしれません。自称進学校は大量の課題を乗り越えられるかどうかが全てになってしまっています。
また、偏差値を基準に解説しますが、もちろんこれは一概には言えません。個人差があります。特に地方の場合、必ずしも勉強のできる子が進学校へ進学するとは限らず、例えば、偏差値55の高校に実質65の子が通学しているという場合もあるでしょう。必ず直近の模試の結果も含めて、自分自身の客観的な実力と照らし合わせてください。
そして、なぜ高校偏差値60未満を対象にしているのかというと、第一に中学復習から検討しなければならず、受験勉強の経験不足からも学習効率が高いとは言えないからです。にもかかわらず、本格的な受験勉強に際して中学復習を軽視したり、身の丈に合わない参考書に手を伸ばしたりした結果、志望校に合格できない、そもそも時間の割に実力も伸びていないなんてことが起こり得ます。正しい勉強法と継続によって伸びたはずの人が伸びずに終わってしまっては非常に勿体ない。「適性があるのに適性がなかった」と勘違いすることは人生の損失、社会の損失と言っていいほどに個人的には重く受け止めています。
高校と大学偏差値の関係
中学は高校に比べて範囲が狭くて内容も易しい一方で、高校は3年間の学ぶ内容にしては密度が高くて難しい。だいたい高校3年間を平均的な成績で特に受験勉強もせずに修了した場合、収まる大学は高校偏差値-10が目安になります。例えば、高校偏差値60なら大学偏差値では50に落ち着きます。偏差値70の大学群として東京一工や早慶、医学部などを挙げると、そうした大学に合格するには偏差値65以上の高校に合格するところからが現実的にはスタートラインになります。
※全国でも有数の中高一貫校の場合、入学時点ですでにMARCHや地方国公立の合格レベルとまで言われることがあります。これは中高一貫校の優位性や早期教育の成果などから例外として考えてください。
そして、偏差値は1年で「5」上がれば順調な方です。つまり、高校偏差値60未満の高校から大学偏差値60の大学に合格するには、高校3年間の授業+定期テストに加えた受験勉強で偏差値10以上は上げなければなりません。このように考えると、仮に高校偏差値60としたら、3年間順調に受験勉強できても大学偏差値65が一つの目安になります。偏差値50の高校から大学偏差値60~65のMARCHや関関同立に合格できたなら大成功の部類です。もちろん、これはあくまで目安。実際は国公立なのか私立なのか、偏差値50~60と60~70の伸び率も違えば、中学復習や高校の先取り次第で結果は大きく変わります。
必要最低限の参考書で志望校を目指す理由
・多くの参考書を採用するとお金がかかる上に混乱を招く
・参考書を増やすことが思考力の成長に寄与するとは限らない
・自分に合った参考書を徹底的に使い込んでほしい
・参考書以前に教科書も優れている
・特に現役生は受験勉強ばかりやるわけではない、やりたいわけではない
・偏差値60~65までの大学ならそこまで多くの参考書は必要ない
・生涯にわたり勉強を手段にする程度なら必ずしも最難関大まで目指す必要はない
・志望校は段階的に上げた方が精神的な負担も大きくならない
・今はAIを活用した自学自習の方がより良い可能性が高まっている
※どの科目も最後の段階は問題演習です。この段階は時間の許す限り問題に取り組むため、最低限のコンセプトからは離れます。
よって、今までに紹介した参考書の中から厳選に厳選を重ねたものだけをここにまとめます。受験勉強は成功を目指すより、失敗しない意識の方が結果的に成功できます。独学するならなおのこと。新しい知識の吸収を焦るより、備えた知識の応用と復習を常に考えたいところです。特に入試本番は緊張や不安も含めた実戦力が試されますから、地に足のついた前進こそ本番の理想的なメンタルを引き寄せます。
マクロ→ミクロの戦略的な視点
最初にするべきことは、受験の全体像を把握して戦略を立てること。大学受験とはどういうものか。志望する大学、学部(併願校も)の情報を集め、合格に必要な科目ごとの目標点を決定します。現在の自分から志望校の合格率を最も高められる計画を策定し、各科目の目標点から逆算した中目標・小目標まで立て、日々の行動に落とし込んでいきます。
これは各科目の勉強でも同じです。まずは科目の特徴から理解し、試験で要求される知識や能力を過去問から洗い出します。そして、教科書などを通読して全体像と要点を大雑把に把握し、そこから細部を詰めていきます。これは大人が子供よりも勉強ができる理由とも同じで、一度曲がりなりにも経験していることが理解の助けになっているのです。すなわち勉強とは、ABCDEと順番に積み重ねていくというより、アルファベットの入る入れ物を用意したあとに敷き詰めていくイメージになります。
とは言え、いきなりここまで要求してしまうと計画倒れになる可能性も高まるかもしれません。どうしても人間は日々の行動(ミクロ)に囚われてしまうものです。単語を覚え始めたら単語ばかりになる。そうした単一の行動への偏りを感じたときに俯瞰的な視点(マクロ)から「今、自分はどこに立ち、何をするべきなのか」といった考え方を思い出せたらひとまず十分です。定期的に自身の行動を客観的に精査すること。これも一つの学びです。
アウトプット→インプットの思考順序
学校の授業は強制的で受動的な営みに感じやすいものです。しかも授業を受けたあとに定期テストがあるため、生徒の思考は「インプット→アウトプット」の順序になっています。これがまず良くない。受験勉強においても、第一に定評のある参考書を買い揃え、最後に過去問で仕上げるなんて考え方を持ってしまう人が少なくありません。
現役生の場合、学校や塾の優秀な先生から与えられたものに真面目に取り組むだけで問題ないと言えなくもありませんが、結果的にそれは将来にわたる“自ら考えて問題解決する思考”を奪ってしまう恐れがあるため、個人的には積極的に薦めたいとは思いません。与えられることが当たり前になるというのも、大人から見たら危機感を覚えるでしょう。そうではなくて常に「アウトプット」から始まることを理解してほしいと思います。受験勉強におけるアウトプットとは「過去問」をはじめとしたヒントも何もない問題を解くことです。アウトプットから始まる思考は逆算。つまり、問題を解くことによって自分の足りないところが浮かび上がり、同時にやるべきことが明確になるわけです。
人間は知識が増えるインプットに快楽を覚えやすく、間違いを突きつけられるアウトプットはストレスが大きくなりやすいのかもしれません。その結果、アウトプットの比率が下がり、必要なインプットも認識できなくなり、目標に対して非効率的な努力を積み重ねてしまうことが起こります。アウトプット過多も考えものですが、受験勉強におけるインプットは単に知識を増やすことではなく、試験で得点するための知識であることを忘れてはいけません。意識の焦点は常に試験。試験で得点するために文法問題集に取り組むことから、文法問題集を解くために文法問題集に取り組む意識になってはならないのです。
基礎固めは短期集中
最初に過去問に取り組んでも、問題自体は解けないと思います。そこから問題を解くために必要なインプットを見極めて基礎固めを行っていくわけですが、基礎固めは必ず短期集中で終わらせます。基礎固めが長引いてしまった時の損失は大きく、逆に手早く終えられたあとの利益は非常に大きくなるため、受験勉強の成功を左右するほどの重要な分岐点です。半分冗談ですが、基礎固めさえ終わってしまえば、応用は少々サボっても問題は大きくなりません。
例えば、高校1年生の夏休みに(大雑把でも)数学IIBまでの教科書レベルを終えたとしましょう。すると、その後の学校の授業はほとんど復習となり、定期テスト対策も円滑に行えるようになります。基礎基本は複利のような効果を生む。早ければ早いほど得をします。ただ、全科目の基礎固めを行うのは至難ですから、まずは主要3科目、特に積み重ねが重視される数学を第一に、余裕があったら英語、国語と取り組むのがオススメです。数学と英語の両方、あるいはどちらか一つだけでも得点源にできるほどになったら大学受験は相当楽になります。※数学が苦手なら英語最優先
現役生は勉強以外にすることも多いと思いますが、だからこそできるときに短期集中で終わらせ、授業の効果を最大化して後半(受験勉強)を楽にするのです。基礎が曖昧なまま、応用に取り組み、成績が伸びなくなったときの原因究明は想像以上に骨が折れます。ただし、後述するように、応用に取り組んで初めて曖昧な基礎もわかるため、基礎もまた基礎にだけ取り組むことが基礎固めというわけではありません。
基礎と応用の往復
応用に取り組むとは、応用のみに取り組むわけではありません。必ずそれまでの基礎との往復を考えます。これは基礎から見た応用はアウトプットに位置づけられますから、必ず間違いが生まれ、その間違いを基礎に戻って確認しながら“応用が基礎の陸続きにあること”を学びます。陸続きとは、基礎と応用がそれぞれ独立しているわけではなく、基礎の変化や組み合わせたものが応用であるということ。
これは数学がわかりやすい例です。学校の定期テストのような1対1対応の丸暗記で乗り越えられるものとは違い、数学の入試問題(応用)は常に複数の基礎的な知識の組み合わせや特殊な運用を要求しています。つまり、応用を構成している基礎に戻ることで基礎の新たな一面を知り、同時に基礎から応用への発展も考えられるようになるわけです。こういった定期テストと入試問題の質の違いを知らない人が多いため、基礎と応用の往復が大切になります。さらに言うと、応用のパターンに限りがあるため、入試標準レベルまでなら解法暗記でどうにかなるという理屈にも繋がっています。
受験勉強は1歩ずつ前進するわけではなく、1歩進んで半歩下がる、また1歩進んで半歩下がるの繰り返しです。基礎ほど網羅系参考書に取り組みたい理由も、基礎と応用の往復の際、応用を基礎に分解・帰着するには大量の基礎をインプットしておくと都合が良いからです。応用を基礎に分解できないと、その都度足りない基礎を補完することになって応用問題に取り組む意味が希薄になります。これは自分に合った参考書を選ぶ上でも重要な観点であり、受験勉強の慣れとはすなわち試験で問われる論点のためのインプットを最初から高い精度で行えるということです。この精度が低いとは、言ってしまえば覚え方に無駄が多いということになります。繰り返すようですが、だから最初に過去問に取り組むのです。
1日の勉強と睡眠時間
昨今、睡眠の重要性が各処で語られている通り、睡眠は記憶の定着と理解を促す極めて重要な行為です。必ず十分な睡眠時間を確保した残りの時間を勉強に充てます。言い換えると、勉強時間が長ければ長いほど成績が伸びるわけではなく、1日に習得できる量には限界がある、すなわち早い時期からコツコツ取り組んでいる人には絶対に敵わない部分が存在します。睡眠時間を削ると精神的な不安定さも招き、受験勉強どころではなくなる可能性まであります。
そして、1日の勉強時間も段階的に伸ばす必要があります。これは勉強に不慣れな人ほど短い時間から始め、1日最大6時間(+休憩)に設定することを推奨します。長時間の勉強は疲労から脳が無意識にサボりますから、実際のところ、高い集中力を維持できる時間はそれほど長くありません(個人差も大きい)。新しい事柄の理解に高い集中力を必要とし、単語暗記などはそれほど集中力を必要としないため、そういった事情も加味して柔軟に考えるとより良いと思います。
また、これは志望校の選定にも影響し、現実的に1日最大6時間の勉強を継続して合格できる大学を目安にするべきです。受験勉強は必死に頑張るもの、というのは個人的に少し違います。仮に1日10時間も勉強して成績が伸びなかったとき、その反動から勉強に取り組めなくなったり、自信を失ったりしたら意味がありません。本格的な受験勉強の前に助走期間(3ヵ月程度)を設け、その期間で集中力を伴う受験勉強の基礎を学び、平日3時間・休日6時間を習慣化できたら十分です。間違ってもいきなり1日10時間で勉強計画を立てないこと。
1日の科目数と相乗効果
新しい事柄を理解するには高い集中力を要することから、1日にしっかり勉強できる科目数も考えておく必要があります。これは復習科目をカウントせず、2科目が目安です。例えば、チャート式の例題と文法問題集の“1周目”に取り組むなら、それだけで1日の勉強は終わりです。特に基礎固めの段階なら少数科目に絞ってほしい。
また、科目の設定には相乗効果を狙える科目で構成するとより良いと思います。例えば、国語と英語。英語の長文読解を学ぶと、現代文の論理構造も見やすくなることがあります。数学と物理、数学と化学の組み合わせは想像しやすいでしょう。気分を一新するためなら、全く関係ない組み合わせも有効かもしれません。科目の組み合わせではありませんが、脳は同じ刺激には慣れてしまうため、例えば、普段使っている単語帳とは違う単語帳を用いてみるのも効果があります。
勉強計画を立てる際、全ての科目を一から並行するのではなく、重要科目を前半に、その重要科目の復習段階に入ったら副科目の新しい事柄を、そして、副科目の復習段階に入ったら、重要科目の次の段階にある新しい事柄を―というように自分自身の集中力や理解度を観察しながら、脳のリソースを上手に割り振れるようになると理想です。受験勉強の最後は試験科目の問題演習になりますが、この段階はある意味で全て復習、おおよそ95%以上はすでに見たことがあるものにしなければなりません。