勉強法と参考書の決定版

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結局、どの参考書をどのように使ったら良いのか。ここに大学受験を効率的に、できたら本質的な能力を伸ばしながら乗り越えるための「勉強法と参考書の決定版」をまとめようと思います。勉強のやり方と参考書選びに悩む現役生、および高校までの学び直しを考える大人に伝えたい内容です。※記事は随時加筆修正を行います。

【加筆修正の履歴】※直近10件まで
・2025/07/27 受験勉強の根本
・2025/07/26 音と論理の類似性
・2025/07/21 受験勉強の幹(参考書)と枝葉(AI)
・2025/07/20 学習塾や予備校の価値
・2025/07/18 中高一貫校の優位性と条件の違い
・2025/07/16 参考書ルートと授業の位置づけ
・2025/07/10 悩まないことの重要性
・2025/06/19 スマホ依存の注意と勉強道具
・2025/06/17 子供ならではのタイミングの難しさ
・2025/06/13 高校と大学偏差値の関係

【加筆修正の履歴】

・2025/06/06 必要最低限の参考書で志望校を目指す理由
・2025/06/05 ゲーム感覚で楽しく取り組む
・2025/06/02 小学算数と中学数学の復習
・2025/05/27 授業の活用
・2025/05/26 中学英語の復習、中学復習に必要な参考書一覧
・2025/04/27 完璧主義より完了主義
・2025/04/07 自己評価と客観的評価、AIの活用と原始的な勉強
・2025/03/31 スマホ依存の注意と勉強道具、受験勉強の準備とは
・2025/03/20 1日の科目数と相乗効果、国語力の強化
・2025/03/17 参考書選びの基準、小学算数と中学数学の復習、中学英語の復習
・2025/03/16 はじめに、参考書選びの基準、志望校と参考書の選定、1日の科目数と相乗効果

目次

はじめに

【対象】
偏差値60未満の高校に通う現役生
・基礎固めに苦労している浪人生
・独学で大学進学を目指す人
勉強が苦手だった大人

【到達】
・MARCH、関関同立、準難関国公立(筑波、神戸、横国)まで
・入試基礎~標準までを固められる
・生涯にわたり勉強を手段にできる

※本ページの内容は個々に活用できる点を見つけられたらという想いで書いています。そうした点を柔軟に取り入れられる人は受験勉強の心配がほとんどありません。また、私の書き方の問題で本当に伝えたい層には伝わらない恐れがあるため、Chat-GPTなどを駆使して本ページの内容を適宜要約してもらえると助かります。

 本ページでは東京一工や旧帝大、早慶、医学部のレベルは扱いません。高校偏差値60未満から四年制大学を受験する層を対象に、(再現性が高いであろう)大学偏差値60前後に到達することを目標にします。高校偏差値65以上の進学校になると、本ページの内容は役に立ちません。そのレベルなら学校や塾の優秀な先生の言うことを聞き、本人の努力で相応の大学に合格できるはずです。その一方で自称進学校の場合、役に立っても実行の余地がないかもしれません。自称進学校は大量の課題を乗り越えられるかどうかが全てになってしまっています。

 また、偏差値を基準に解説しますが、もちろんこれは一概には言えません。個人差があります。特に地方の場合、必ずしも勉強のできる子が進学校へ進学するとは限らず、例えば、偏差値55の高校に実質65の子が通学しているという場合もあるでしょう。必ず直近の模試の結果も含めて、自分自身の客観的な実力と照らし合わせてください。

 そして、なぜ高校偏差値60未満を対象にしているのかというと、第一に中学復習から検討しなければならず、受験勉強の経験不足と基礎固めの甘さからも改善する余地があるからです。この層は本格的な受験勉強に際して中学復習を軽視したり、身の丈に合わない参考書に手を伸ばしたりした結果、時間の割に実力も伸びずに志望校に合格できないということが頻繁に起こり得ます。また、皆が皆、高額な学習塾や予備校に通えるとは限らず、そもそも市販の優れた参考書やAIが著しく台頭する現代ならそうしたサービス無しでも難関大学に合格することは十分に可能です。正しい勉強法と継続によって伸びたはずの人が伸びずに終わってしまっては、さらにお金と時間を誤った方針に注ぐほどもったいないことはありません。これは率直に人生の損失であり、ひとりふたりでは語り切れないという意味では社会の損失と言っていいほどに個人的には重く受け止めています。

大人の学び直しとして「高校課程を理解した」と言うにも偏差値60はちょうど良い目安です。最難関大まで想定すると受験勉強に偏り過ぎてしまいます。高校課程の知識面だけなら教科書で十分と言えば十分ですが、入試問題を解ける総合的な思考力まで加えると、思考力の成長、延いては生涯にわたる学習効率の有意な差を実感できるものになると思います。大学受験用の参考書だからこそのわかりやすさも推奨したい理由です。

受験勉強の考え方

受験勉強の根本

 勉強とは、知識を積み重ねたり、思考力を駆使して問題を解くことを繰り返す作業になります。受験勉強は志望校という目標に向けたものになるわけですが、これは前提として誰にでもできることです。他人から教わらないといけないものは何もありません。目標達成のために何をしたら良いのかを考えるところから始め、そこから具体的な作業を導き出して実行に移すだけです。もし、成績が伸びなかったとしたら、なぜ伸びなかったのかと考え、次はこうしたら伸びるのではないかと新たな行動に繋げます。詰まるところ、それらの繰り返しに過ぎず、やるかやらないかの差が非常に大きいということをあらかじめ覚えておいてほしいと思います。

 また、そのためにも常に失敗とは向き合ってほしいと思います。受験勉強は細かく見れば失敗だらけです。特に現役生が独学しようものなら、非効率的なやり方に多大な時間を費やすリスクもあります。失敗に怯える必要はありませんが、失敗を直感したときには潔く軌道修正を試みる方がより良い。試験当日までの取り組みからは失敗も込みで様々な学びがあります。大人になると受験時代ほど一つの目標に向けてまとまった時間を確保できなくなり、加えて何らかの目標達成までのできたら1年以上のプロセスを学習していないと、大きな目標を達成することも、自分の力を出し切ることもなかなか難しくなります。

 そして、受験そのものには囚われないでほしいと思います。世間では偏差値や大学名などの序列意識に囚われている人もいますが、人間の優秀さや能力は単一の尺度では測り切れません。どういった尺度を見つけられるか、自分に与えられるか。「自分自身への多様な見方=総合力の意識」が自信にも繋がります。しかし一方で、受験勉強によって培われる能力を無視することもできません。受験だろうが何だろうが、勉強である以上は伸ばせる能力があります。自分自身の能力を伸ばすゲームくらいに捉えると、健やかに成長し、人間関係も拗らせずに安定するでしょう。

何かを学ぶことに遅すぎることはない。受験勉強に力を入れられなかったとしても、大人になってからいくらでも勉強自体はできます。ただ、人間の基礎力(思考力や行動力など)は人生において複利のように効きます。早いうちから基礎力を伸ばしておいた方が得なのは紛れもない事実です。同時に、その基礎力を向上させる訓練として何があるか。受験勉強の優位性は何か。受験勉強以外にできることは何か。常に本質的な見方を意識してほしいと思います。

高校と大学偏差値の関係

 中学は高校に比べて範囲が狭くて内容も易しい一方で、高校は3年間の学ぶ内容にしては密度が高くて難しい。だいたい高校3年間を平均的な成績で特に受験勉強もせずに修了した場合、収まる大学は高校偏差値-10が目安になります。例えば、高校偏差値60なら大学偏差値では50に落ち着きます。高校偏差値70であれば、受験勉強せずとも標準的な国公立やMARCH、関関同立に合格できてしまう計算です。

 ※全国でも有数の中高一貫校の場合、入学時点ですでに偏差値60程度の国公立大学には合格できるとまで言われることがあります。これは中高一貫校の優位性や早期教育の成果などから例外として考えてください。

 そして、偏差値は1年で「5」上がれば順調な方です。つまり、高校偏差値60未満の高校から大学偏差値60の大学に合格するには、高校3年間の授業と定期テストに加えた受験勉強で偏差値10以上は上げなければなりません。偏差値70の大学群として東京一工や早慶、医学部などを挙げると、そうした大学に合格するには偏差値65以上の高校に合格するところからが現実的にはスタートラインになります。偏差値50の高校から大学偏差値60~65のMARCHや関関同立に合格できたなら大成功の部類です。もちろん、これはあくまで目安。実際は国公立なのか私立なのか、偏差値50~60と60~70の伸び率も違えば、中学復習や高校の先取り次第で結果は大きく変わります。

このことからは学校の授業を悠長に受けていたら受験に間に合わなくなること。高校の土台となる中学課程を一刻も早く復習すること。できたら高校の教科書レベルを先取りすること。これさえできれば、高校偏差値に依らず、ある程度は自由に志望校を選べることも意味しています。

必要最低限の参考書で志望校を目指す理由

・多くの参考書を採用するとお金がかかる上に混乱を招く
・参考書を増やすことが思考力の成長に寄与するとは限らない
・自分に合った参考書を徹底的に使い込んでほしい
・参考書以前に教科書も優れている
・特に現役生は受験勉強ばかりやるわけではない、やりたいわけではない
・偏差値60~65までの大学ならそこまで多くの参考書は必要ない
・生涯にわたり勉強を手段にする程度なら必ずしも最難関大まで目指す必要はない
・志望校は段階的に上げた方が精神的な負担も大きくならない
・今はAIを活用した自学自習の方がより良い可能性が高まっている
※どの科目も最後は問題演習になるため、必要最低限のコンセプトからは離れます。

 よって、今までに紹介した参考書の中から厳選に厳選を重ねたものだけをここにまとめます。受験勉強は成功を目指すより、失敗しない意識の方が結果的に成功できます。独学するならなおのこと。新しい知識の吸収を焦るより、備えた知識の応用と復習を常に考えたいところです。特に入試本番は緊張や不安も含めた実戦力が試されますから、地に足のついた前進こそ本番の理想的なメンタルを引き寄せます。

優れた参考書を使うよりも、勉強習慣を確立する価値の方が何倍も大きいというのも理由の一つです。毎日1時間でも勉強する習慣があれば、それだけで偏差値60以上に安定してもおかしくありません。言い換えれば、現役生の多くは勉強していないのです。足切りを除けば相対評価で決まる受験では、本当に成績を伸ばすのが難しくなるのは競争相手が強くなる偏差値60を超えてから。無理に詰め込んだり、基礎が崩壊したりする問題も全て日頃からコツコツやっていたら問題にすらならないわけです。

参考書選びの基準

 基本的に参考書の選択で生まれる差よりも使い方による差の方が大きくなりますが、あまりに合わない参考書では時間を無駄にする可能性が高いため、以下の基準から失敗しない程度の参考書選びにはこだわるべきです。ただ、参考書選びに失敗はつきもの、遠回りしたなりに別の力が伸びているならと万が一の時は割り切りましょう。点と点はいつか繋がり、藻掻くことも応用の力になります。

【参考書選びの前に】
・過去問
※最初の2週間くらいは志望校と併願校の過去問と向き合い、傾向と対策、問題の分析に加えて「どうしたら解けるようになるのだろうか?」とひたすら考え抜く時間をつくっても良いと思います。この問題意識が高まるほどその後のあらゆる勉強に当事者意識と取り組む意義が生まれます。

【参考書選びの基準
・文章―文章を読んで理解できるか
・難易度―最低でも解説から問題の意図と解答を理解できるか
・相性―参考書のレイアウトや筆者独特の言い回しが理解の妨げになっていないか
・問題数―必要な問題数(網羅性)を確保しているか、時期的に無理のない量か
・インプットとアウトプット―知識を増やす目的か、知識を確認する目的か

まず、過去問の分析から得られた課題を解決するために「参考書を選ぶ」という意識が大切です。例えば、英語なら語彙なのか、文法なのか、解釈なのか、長文読解なのか。仮に語彙なら基本語彙なのか、発展語彙なのか。そうやって課題を明確に定義することで参考書とのミスマッチを防げる上に、問題意識から吸収率も飛躍的に向上します。「これだ!」と自分に合う感覚とは、問題意識の高まり(=無意識的な課題の定義)によって必要な参考書を見極められたということ。

そして、参考書選びは自分が参考書に合わせるか、参考書を自分に合わせるかという話なので、理解力と応用力が高いほど参考書選びによる問題は小さくなります。それらは受験勉強の慣れによるところが大きいので、不慣れな人ほど入念に過去問を分析し、自分に足りないところを洗い出してから参考書を選びます。

独学の場合、自分が正しく理解できているのか、十分な問題数を網羅できているのかといった客観的な評価を得たいと思うことがあると思います。そういうときも過去問です。過去問は志望校を頂点に、併願校を段階的に設定して自分の実力を測る指標として用いることができます。実際の問題が解けているなら十分ですし、解けないならまた解けない原因を考えて参考書に取り組むという繰り返しです。すでに解いてしまった問題は論点の確認と理解の説明をできるようにします。

最新版の値段は張りますが、過去問の優先順位は極めて高いです。例えば、過去問の英語から文法問題や長文、英作文が出題されることを知り、さらに文法問題から誤文訂正、長文から頻出テーマや単熟語、英作文から表現の必要性を問題意識として獲得できると、その後のインプットは全て過去問を解くための知識に最適化します。過去問で見かけた単熟語は特に記憶に残るようになり、英作文の必要性から例文暗記も捗ります。この差は成功を左右するほどに大きい。

マクロ→ミクロの戦略的な視点

 最初にするべきことは、受験の全体像を把握して戦略を立てること。大学受験とはどういうものか。志望する大学、学部(併願校も)の情報を集め、合格に必要な科目ごとの目標点を決定します。現在の自分から志望校の合格率を最も高められる計画を策定し、各科目の目標点から逆算した中目標・小目標まで立て、日々の行動に落とし込んでいきます。

 これは各科目の勉強でも同じです。まずは科目の特徴から理解し、試験で要求される知識や能力を過去問から洗い出します。そして、教科書などを通読して全体像と要点を大雑把に把握し、そこから細部を詰めていきます。これは大人が子供よりも勉強ができる理由とも同じで、一度曲がりなりにも経験していることが理解の助けになっているのです。すなわち勉強とは、ABCDEと順番に積み重ねていくというより、アルファベットの入る入れ物を用意したあとに敷き詰めていくイメージになります

 とは言え、いきなりここまで要求してしまうと計画倒れになる可能性も高まるかもしれません。どうしても人間は日々の行動(ミクロ)に囚われてしまうものです。単語を覚え始めたら単語ばかりになる。そうした単一の行動への偏りを感じたときに俯瞰的な視点(マクロ)から「今、自分はどこに立ち、何をするべきなのか」といった考え方を思い出せたらひとまず十分です。定期的に自身の行動を客観的に精査すること。

なぜ、大学に行くのか。なぜ、その学部を選ぶのか。そういった大学の先にある人生から内的な動機を構築することも非常に大切です。しかし、そうした内的な動機が先行して視野が狭くなったり、間違いを修正できなくなったり、無駄なプライドが生まれたりしないようにしましょう。受験勉強は細かく見れば失敗だらけです。失敗から学び、いかに前進するための具体的な行動に結びつけられるかが勝負になっています。

志望校と併願校の選定

 行きたい大学・学部を見つけることも重要ですが、同時に自分が有利に勝負できる科目や配点、相乗効果を生む併願校も見つけなければなりません。私大は大学・学部によって試験形式がユニークなので、有名大学であっても一点突破型の戦略を立てることもできます。併願校の選定も過去問の傾向と対策から、志望校の勉強と重なるところを見つけます。反対に、英語が苦手なのに英語の配点が高い学部を受験したり、志望校頻出の単元が全く出ないような併願校の優先順位は下げた方が無難です。

昨今は英検利用も増えているため、共通テストや私立一般・国公立二次の試験対策だけが全てではありません。全体の割合としては小さいものの、推薦入試では仏検や独検、日商簿記検定1級、応用情報技術者試験など秀でた能力を持つ人に門戸が開かれるようになっています。入試科目以外に強い関心と実績を持つ人なら、第一にそうした道筋から考えた方が良いでしょう。

 そして、先に述べた「高校と大学偏差値の関係」から、頂点となる志望校(目標)を決め、そこから現在の実力との間を埋めるように2~3段階に分けて併願校を決めます。例えば、全統模試偏差値50のMARCH志望なら「成成明学」と「日東駒専」が併願校の候補になる大学群です。現在の実力と最も近い併願校が当面の目標となり、実力チェックの指標でもあります。さらにこれを学部、試験形式、傾向単位で厳密に揃えます。国公立の場合、私立の少数高得点型では併願校の偏差値を落とさざるを得ないため、落としたくないなら最初から私立一般を意識するか、共通テスト利用かを考えておく必要があります。

 ちなみに高校生が予備校や学習塾を選ぶ際は、こうした志望校と併願校の選定に役立つ分析と提案を行ってくれるところを選びましょう。漠然とした大学群に合わせたものは受験生本人が行うものとほとんど変わりません。受験生本人が行うよりも正確で緻密で納得感のあることが絶対条件です。

大人になってから思うのは「好きなことより得意なこと」を優先した方が成功できること。社会は常に競争ですから、勝ち負けに振り回されながら好きな気持ちを維持するのは心底大変なのです。大学受験も同様に、努力に対して点数が伸びる科目と伸びない科目があります。できるだけ前者のような科目を軸にし、後者はより良い妥協点を見つけて取り組む方が精神的にも楽です。もちろん、好きで得意なものがあるならこの上ない。

アウトプット→インプットの思考順序

 学校の授業は強制的で受動的な営みに感じやすいものです。しかも授業を受けたあとに定期テストがあるため、生徒の思考は「インプット→アウトプット」の順序になっています。これがまず良くない。受験勉強においても、第一に定評のある参考書を買い揃え、最後に過去問で仕上げるなんて考え方を持ってしまう人が少なくありません。

 現役生の場合、学校や塾の優秀な先生から与えられたものに真面目に取り組むだけで問題ないと言えなくもありませんが、結果的にそれは将来にわたる“自ら考えて問題解決する思考”を奪ってしまう恐れがあるため、個人的には積極的に薦めたいとは思いません。与えられることが当たり前になるというのも、大人から見たら危機感を覚えるでしょう。そうではなくて常に「アウトプット」から始まることを理解してほしいと思います。受験勉強におけるアウトプットとは「過去問」をはじめとしたヒントも何もない問題を解くことです。アウトプットから始まる思考は逆算。つまり、問題を解くことによって自分の足りないところが浮かび上がり、同時にやるべきことが明確になるわけです。この問題意識がインプットを劇的に向上させます。

大学群から語るより、大学の過去問から語った方が当然ながら精度は高い。東大や早慶、医学部のような注目度の高い大学・学部を受験する場合を除き、受験生本人、あるいは同じ大学・学部を受験した先輩よりも高い理解度で語れることはそれほど多くありません。学校や塾の先生よりも、受験生本人が主導して対策を立てた方が良い場合もあるということ。少なくともどこかで自立的に考えていく必要はあります。

 人間は知識が増えるインプットに快楽を覚えやすく、間違いを突きつけられるアウトプットはストレスが大きくなりやすいのかもしれません。その結果、アウトプットの比率が下がり、必要なインプットも認識できなくなり、目標に対して非効率的な努力を積み重ねてしまうことが起こります。アウトプット過多も考えものですが、受験勉強におけるインプットは単に知識を増やすことではなく、試験で得点するための知識であることを忘れてはいけません。常に試験を想定すること。試験で得点するために文法問題集に取り組むことから、文法問題集を解くために文法問題集に取り組む意識に陥ってはならないのです。

「〇〇を使ったら△△の大学に合格できますか?」という質問が現役生からはよく聞こえてきますが、この発想自体がまさに「インプット→アウトプット」になってしまっています。その参考書から作問されるわけではありませんからね。大学の過去問から得られた課題を解決するためのインプットです。前提として、その知識が得られるなら何でも良く、その中で優劣や相性があるにはあるという認識が正しい。

基礎固めは短期集中

 過去問に取り組んでも、問題自体は解けないと思います。最初の過去問は現在の自分との差を徹底的に分析するためのものです。そこから問題を解くために必要なインプットを見極めて基礎固めを行っていくわけですが、基礎固めは必ず短期集中で終わらせます。基礎固めが長引いてしまった時の損失は大きく、逆に手早く終えられたあとの利益は非常に大きくなるため、受験勉強の成功を左右するほどの重要な分岐点です。基礎固めさえ終わってしまえば、応用は少々サボっても問題は大きくなりません。

 例えば、高校1年生の夏休みに(大雑把でも)数学IIBまでの教科書レベルを終えたとしましょう。すると、その後の学校の授業は頭にある数学IIBの入れ物を補完するものとなり、定期テスト対策も円滑に行えるようになります。人間は一度でも経験したもの、できたらそれなりに理解に努めたものを再び学習するときには驚くほど理解が進みます。言わば自然と複利のような効果を生みますから、3年間ともなれば非常に大きな差になります。これが全科目で行えたら鬼に金棒ですが、積み重ねが重視される数学と英語だけでも取り組んでおきたいところです。

 現役生は勉強以外にすることも多いと思いますが、だからこそできるときに短期集中で終わらせ、授業の効果を最大化して後半(受験勉強)を楽にするのです。同じ半年間の基礎固めでも、高校1年生で行うか、3年生で行うかには雲泥の差があります。基礎が曖昧なまま、応用に取り組み、成績が伸びなくなったときの原因究明も想像以上に骨が折れます。ただし、後述するように、応用に取り組んで初めて曖昧な基礎もわかるため、基礎もまた基礎にだけ取り組むことが基礎固めというわけではありません。

大学受験の観点から言うと、高校の授業は基礎固めを長期にわたって行っているようなものなので、応用に取り組めないばかりか、すでに勉強したはずの基礎も忘れてしまって二度手間なのです。少なくとも教科書(できたら入試基礎)までの問題を即答できるくらいになっておけば、受験勉強は全くつらいものではなくなります。おそらくこうした手順の問題で必要以上に負担を強いられてしまうことを多くの受験生は知りません。

基礎と応用の往復

 応用に取り組むとは、応用のみに取り組むわけではありません。必ずそれまでの基礎との往復を考えます。これは基礎から見た応用はアウトプットに位置づけられますから、必ず間違いが生まれ、その間違いを基礎に戻って確認しながら“応用が基礎の陸続きにあること”を学びます。陸続きとは、基礎と応用がそれぞれ独立しているわけではなく、基礎の変化や組み合わせたものが応用であるということ。

 これは数学がわかりやすい例です。学校の定期テストのような1対1対応の暗記で乗り越えられるものとは違い、大学の入試数学は複数の基礎的な知識の組み合わせや特殊な運用を要求しています。つまり、応用を構成している基礎に着目して戻ることで、基礎の新たな一面を知り、同時に基礎から応用への発展も考えられるようになるわけです。(難関を除く)高校入試では1対1対応の暗記に近い勉強でも好成績を残せたために、もっと言うと高校の定期テストもまたその程度で済んでしまうために、特に偏差値60未満の高校生はそのような質の違いに気づきにくく、応用もまた暗記に近い取り組みを無意識に選んで失敗してしまいます。

 受験勉強は1歩ずつ前進するわけではなく、1歩進んで半歩下がる、また1歩進んで半歩下がるの繰り返しです。基礎ほど網羅系参考書に取り組みたい理由も、基礎と応用の往復の際、応用を基礎に分解・帰着するには大量の基礎をインプットしておくと都合が良いからです。応用を基礎に分解できないと、その都度足りない基礎を補完することになって応用問題に取り組む意味が希薄になります。これは自分に合った参考書を選ぶ上でも重要な観点であり、受験勉強の慣れとはすなわち試験で問われる論点のためのインプットを最初から高い精度で行えるということです。この精度が低いとは、言ってしまえば覚え方に無駄が多いということになります。繰り返すようですが、だから最初に過去問に取り組むのです。

なぜ大人になると、子供の頃以上に勉強ができるようになるのか。一つは大人なりの社会経験から「考えること」を要求されたからです。大人の世界は応用ばかり、できないなりにも考えて生き抜かなければなりません。そう、勉強は「考えること」無しでは成立しないゆえに、考えることのできる大人は子供以上に向いているのです。

1日の勉強と睡眠時間

 昨今、睡眠の重要性が各処で語られている通り、睡眠は記憶の定着と理解を促す極めて重要な行為です。必ず十分な睡眠を確保した残りの時間を勉強に充てます。これは長期記憶の形成が勉強によって直接的に行われるのではなく、睡眠時に行われるためです。睡眠時間を削るほど勉強しても逆効果となるだけでなく、ただでさえ余裕のない時期、精神的な不安定さを招く恐れまであります。つまり、1日10時間の勉強より、1時間を10日間継続した方が記憶の定着率が高いわけですから、言うまでもなく早い時期からコツコツ取り組むのが一番という結論にもなります。

 そして、1日の勉強時間も段階的に伸ばす必要があります。勉強に不慣れな人ほど短い時間から始め、少しずつ密度の高い勉強ができるように訓練していくのです。まずは勉強習慣をつくるところから始め、最終的には1日最大6時間程度に設定すると良いと思います。受験勉強というと「1日10時間」なんて当たり前のように耳にしますが、実際は脳の疲労からもそこまで高い集中力を維持できていません。新しいもの、難解なものほど高い集中力を必要としますから、受験勉強に不慣れな人ほどすぐに集中力のリソースは枯渇します。逆に言うと、高い集中力を必要としない事柄(英単語の暗記や一問一答など)を上手に取り入れて6時間+α、あるいは3時間+3時間の6時間など自分なりの成長率の高い構成を見つけてほしいと思います。

時間そのものの量を増やすのではなく、時間内の質を高めること。勉強以外にやりたいことがあるならなおのこと。大人になってから実感する人も多いと思いますが、長い時間働くよりも決められた時間内に仕事をきっちりと終わらせられる方が評価されますよね。

 また、これは志望校の選定にも影響し、現実的に1日最大6時間の勉強を継続して合格できる大学を目安にするべきです。受験勉強は必死に頑張るもの、というのは個人的に少し違います。仮に1日10時間も勉強して成績が伸びなかったとき、その反動から勉強に取り組めなくなったり、自信を失ったりしたら意味がありません。基本的には程良く頑張り、ぐっすり寝て、心と身体の健康(余裕)を損なわないことが第一です。本格的な受験勉強の前に助走期間(3ヵ月程度)を設け、その期間で集中力を伴う受験勉強の基礎を学び、平日3時間・休日6時間でも習慣化できたら大きな前進です。間違ってもいきなり1日10時間で勉強計画を立てないこと、無理やり詰め込んで間に合わせようとしないこと。

勉強が好きなら時間を忘れて取り組んでしまうこともあるでしょう。そう、あくまで時間は目安に過ぎず、内的な動機に導かれている高い集中力の持続を否定しません。それをコンスタントに実現できるに越したことはありませんが、必要に求められて仕方なく受験勉強している人が大半かと思われます。その中でもできるだけパフォーマンスを高く安定させるなら、習慣化が必須という話です。

1日の科目数と相乗効果

 新しい事柄を理解するには高い集中力を要することから、1日にしっかり勉強できる科目数も考えておく必要があります。これは復習科目をカウントせず、2科目が目安です。例えば、チャート式の例題と文法問題集の“1周目”に取り組むなら、それだけで1日の勉強は終わりです。これは実際に受験勉強を始めたら誰もが気づくと思います。特に基礎固めの段階なら少数科目に絞ってほしい(1日1科目でも良いくらいです)。

 このとき、勉強する科目の構成は相乗効果を狙えるものにします。例えば、国語と英語なら英語の長文読解から現代文の論理構造も見やすくなり、国語と公共なら公共の社会常識が読解の背景知識になります。数学と物理、数学と化学の組み合わせは想像しやすいでしょう。脳のリフレッシュに時には全く関係ない組み合わせも有効かもしれません。国公立のように試験科目が多いと大変は大変ですが、実はそうした科目同士の相乗効果によって理解が促進されているところもある、理解を促進できる部分が存在するため、科目を独立して考えない工夫が効率を上げています

 勉強計画を立てる際、全ての科目を一から並行するのではなく、重要科目を前半に、その重要科目の復習段階に入ったら副科目の新しい事柄を、そして、副科目の復習段階に入ったら、重要科目の次の段階にある新しい事柄を―というように自分自身の集中力と理解度を観察しながら、脳のリソースを上手に割り振れるようになると理想です。こういった事情があるため、1科目だけでも得点源にできるほど完成していたら非常に楽になります。受験勉強の最後は試験科目の問題演習になりますが、この段階は複数科目を毎日のように並行しなければならないため、ある意味で全て復習、95%はすでに見たことがあるものにしなければなりません。

こういった点からは国公立と私立の難しさの違いも現れています。特に現役生が独学で国公立に合格するのは大変です。子供なりにがむしゃらに頑張った成果が実を結びやすいのは圧倒的に私立。国公立はタスク管理が難しく、実際に合格している人でも周囲のサポートがなければ難しかったと感じている人は多いはずです。

AIの活用と原始的な勉強

 今後は誰もがAIを活用して勉強していくことになるでしょう。中高生の受験勉強はAIありきになり、小学生なら英語学習で驚異的な力を発揮しそうです。有料の高性能なAIであっても塾に通うよりも安上がりですから、携帯キャリアのようにお気に入りのAIを選んで課金していくのかもしれません。もはや参考書云々ではなく、AIをフル活用した受験勉強の提案に振り切った方が建設的な気もしています。必要最低限の参考書ではなく、AIによって参考書はいらない。予備校や学習塾もいらない。そういう時代に突入しつつあることを柔軟に受け入れなければいけません。

 しかし、特に高校生までなら教科書や参考書を用いた原始的な勉強の利点も否定できないと思います。原始的な勉強は情報の正確性がAIよりは担保されていること、目的に応じた情報が整理されていること、アナログツールで手を動かす方が記憶の定着率は高いこと、AIによる学習よりも主体性が養われるなどの利点があります。AIの場合、使用者の思考力が軸となるため、未熟な人では上手に使いこなせないばかりか、誤った理解に繋がる懸念が消えません。

明確な根拠はありませんが、人間は原始から現代へ段階的に進み、時には現代から原始に戻るような取り組みが頭にも心にもより良い気はします。例えば、幼い頃からスマホばかりではなく、まずは自然と触れ合ったり、物理的な本を手に取ったり、そうやって五感をできるだけ使う生活からスマホを徐々に受け入れていくのです。スマホばかりになったら、今度は原始に戻ります。

 つまり、双方の利点を柔軟に取り入れていくという月並みな結論になりますが、原始的な勉強で行き詰まったときにAIによってあっさり突破できる可能性は常に考えておくべきです。AIによる情報の整理や問題の分析、対話による疑問点の解消などは言うまでもなく積極的に活用します。少し前までは直接的な受験勉強の他に情報を得ること、その情報を上手く扱うことが差を生んでいましたが、現代はそれに加えて「AI」という強力なツールを上手に扱えるかどうかによってさらに差を生むようになりました。

情報の取り扱いにしても、AIにしても、勉強以外の要素が結果に影響するというのは学習塾や予備校のように以前から存在したわけですが、現代はその最適解が見つけにくくなっている状況です。とは言え、勉強の本質は変わらず、さらにAIを活用するにも自分の能力次第なので、疑問を持ちながら柔軟に考え抜くことが大切と思います。

受験勉強の幹(参考書)と枝葉(AI)

 現在進行形で生成AIによる学習サポートが広まりつつあるわけですが、全てをAIに頼ることはまだまだ推奨されていません。AIによる学習効率は使用者の能力次第ということもあって、まずは自分自身の能力(いわゆる地頭)を伸ばさなければならず、その能力を伸ばすために受験勉強を思考訓練の場とするわけです。下手にAIによって思考を代替させてしまうと、能力が下がるだけでなく、再び自らの手で取り組んでも成長しにくくなります。あくまで受験勉強におけるAIはサポートに過ぎません。

 では、受験勉強において「参考書」と「AI」はどのように位置づけられるのか。位置づけるべきなのかというと、参考書は重要事項(幹)を押さえるものとし、AIは重要事項に網羅されないもの(枝葉)を適宜押さえるツールとするのがより良いのではないかと思います。参考書の情報は過去の入試問題などの統計的なデータから集められていますが、AIにはそれが難しいというか、一般人が大量のデータを集めることもAIに解析してもらうことも現実的ではないでしょう。手軽に取り組めるという意味では「対話的な理解」を促進させる使い方がメインですから、重要事項で網羅できていない事柄や解説の不足をその都度補う、つまりは枝葉の処理が抜群に得意と考える方が適切です。

 かつては学習塾や予備校に毎日のように通い、そこで用意された独自のテキストと先生の教えに価値があったかもしれません。そこから優れた参考書が数多く出版され、授業ではなく、参考書を用いた自学自習でも問題ないことが周知されていきました。当然と言えば当然ですが、学習塾や予備校に通おうとも、結局は自宅で自分ひとりで勉強する時間が何より大事であることがわかったわけです。そして、今後は参考書もほとんど必要ないとの認識が広まっていくかもしれません。重要事項を押さえたあとはアウトプットを軸にし、AIによってアウトプットの質を最大限まで高めるわけです。この取り組みが現状では最大効率のような気がします。

今まで人間の先生に質問しようにも時間的な限界もあれば、(言いたいことをはっきり言えない)関係性による不完全さ、言語的なコミュニケーションの不備(言い間違いや誤解、理解不足)などによって解決できるようでできていなかったことが非常に多かったとも言えます。その中でAIによる対話的な理解の促進を武器にしないわけにはいきません。受験勉強に留まらず、AIを活用する視点の有無は間違いなく人生に大きな差をつけます。

参考書ルートと授業の位置づけ

 参考書ルートは大学までの大まかな道筋とレベル感を知るには有用ですが、学校の授業とのバランスは必ず考えなければなりません。劣悪な授業を除き、当然ながら学校の授業を上手に利用した方が成績は安定します。現役生が第一に目指すべきは学校の授業と定期テストで教科書レベルを完成させること。

 基本的に参考書は自分の足りないところを補完するためのものです。使わないに越したことはありません。参考書ルートを鵜呑みにして過剰な部分が生じれば、その分だけ効率は落ちます。例えば、数学の参考書ルートにチャート式が含まれていても、すでに十分な理解のある単元をわざわざ最初から解く必要はありません。過去問分析から自分の足りないところを明確にしたあと、そこに注力できる参考書を優先するのが基本です。参考書ルートを完璧に行うのではなく、合格するために必要な参考書に取り組むことを完璧に行ってほしいと思います。それに参考書そのものが力を与えてくれるわけではなく、参考書を上手に扱える自分あってこその成長です。優れた参考書だけでは意味がありません。

 他方で受験勉強の右も左もわからないという人なら、参考書ルートの考え方が参考になるのは事実です。学校の授業にもついていけていない状態ならなおのことかもしれません。しかし、そもそも個人差も進捗による変化も大きい事柄であるため、ルートはどこかで自分なりに再構築するべきです。最初から最後まで倣うのではなく、過去問分析と現在の成績を比較して自分にとって必要なものをその都度取捨選択してほしいと思います。おそらくこの考えもできない人は参考書ルート通りに取り組んでもほとんど成績は伸びません。参考書ルートに取り組むのではなく、合格のために参考書に取り組むのですから。

参考書ルートでは「完璧にしたら、次に進む」という言葉がよく耳に入りますが、まず「完璧」という言葉に囚われないでほしいと思います。私自身も便宜的に「完璧」という言葉は使うものの、本当にその場で完璧にできるとは思っていません。基礎と応用の往復で述べたように、応用に進んでから基礎不足が判明して改めて固められる=完璧に近づくということが前提です。

ゲーム感覚で楽しく取り組む

 受験勉強は大変なところもありますが、勉強そのものを楽しめるようになったら充実した時間でしかありません。大学受験は人生における良い訓練の場なのです。大学受験で要求される思考力、問題解決力は生涯にわたり自分自身を助けてくれるでしょう。学生時代はダンベル5kgの重さしか持てないなら5kgの重さしか持たなくて済むように配慮してもらえますが、社会では5kgしか持てなくても急に10kg持つように指示され、10kg挙げられないなら退場するしかない厳しいところがあります。そのため、若いうちから鍛えておくに越したことはないのです。

 また、志望校や併願校の選定、過去問から受験戦略を立てること。必要な参考書に取り組み、自分の成績が伸びていく喜びはゲームのように楽しめると思います。私は大学のパンフレットを取り寄せて、大学・学部選びをしている時間も楽しかったです。停滞しても、少し手ごわい敵が現れた程度の話。どうやって攻略しようかと頭を悩ませる時間もまた幸せなこと。特に本ページが目指す大学偏差値60前後は多くの受験生にとって程良いレベルです。無理せず、拗らせず、友人との遊びや部活、趣味との両立を考えながらでも無理難題ではありません

 大人は仕事だから仕方なく取り組むでもそれなりのパフォーマンスで行えるように意識づけしていますが、子供の場合、まだまだ気持ちひとつでパフォーマンスに差が出てしまうかもしれません。だからこそ自分のやる気を高く維持できる捉え方や動機づけを考えておきたいのです。同時に、だからと言って他人を意識しすぎず、自分が最も充実するペースで取り組んでほしいと思います。大学受験に必要以上に囚われないように。

好きこそものの上手なれ。上位層になるほど楽し気に、自らの知的好奇心に導かれてどんどん吸収します。受験界隈では早期教育が取り上げられることも多いですが、親や環境に詰め込まれていたらパンクするケースが多く、親や環境をきっかけに自らの楽しさが上回るか、最初から本人の意思で勝手に突き進んでいくかでなければ難しいのです。外的動機よりも内的動機がパフォーマンスに強く影響しています。

自己評価と客観的評価

 受験勉強では、自己評価に基づく判断が頻繁に求められます。例えば、一冊の問題集を終えて理解できたかどうか。理解できたなら次に進む、理解が甘いなら復習をするといった判断です。こうした自己評価が正しく行えていないと、過不足が生まれて時間効率が下がります。下手をすると、基礎が崩壊して受験勉強そのものを再構築しなければならなくなります。そうならないために必ず自己評価と客観的評価の乖離を埋める意識が必要です。

 これは本人の性格も影響し、普段から自己評価が高い人もいれば、低い人もいます。身の丈に合わない参考書や志望校を選ぶのは現実に基づく自己評価を正しく行えていないかもしれません。高校偏差値60未満という客観的評価を軸にするのも、半分は大人である高校生に自分自身の立ち位置(現実)を知り、そこから歩み始めてほしいという意図があります。驕らず、卑下せず、自分の身の丈を正確に捉えられるように努めれば、自分にとって本当に価値のある勉強に繋げられますからね。

 なお、こうした部分も受験勉強の慣れです。「理解できた」という評価も、次の問題に進んで間違うことで初めて「理解できたという判断は間違っていた」と気づき、「自分の理解は何が甘かったのか」と考え始めます。これを幼い頃から繰り返して中学受験や高校受験を乗り越えた人は、それはもう試験で得点するための要点と理解の程度を感覚的に捉えられるため、適切なタイミングでどんどん先に進めるのです。実際は予備校や学習塾の先生による客観的評価にも助けられていると思いますが、世の中にある試験問題と理解の要求の程度を経験している点は大きな強みと言えます。

こうした直接的な勉強以外の要素を加味しなければならない点も、大学受験を良い訓練の場と考える理由の一つです。大人だって自己理解が浅い人なんて珍しくない中で、子供が意識的に自分自身について考えるのは建設的な意味を持ちます。自己理解が深いほど目標の達成率は高くなり、人間関係や仕事のミスマッチだって防げますからね。どういうスタートでもゴールでも大学受験からの学びはたくさんあります。

スマホ依存の注意と勉強道具

 スマホは便利なツールですが、成績を落とす要因になり得る危険なツールでもあります。スマホが手元にあるだけで人間の集中力は低下するとも言われ、受験勉強の間だけは遠ざけた方が無難です。ただ、AIを活用する場合にはスマホが必要になるため、使うとしても使いどころを正しく見極めて使用してほしいと思います。(気軽に利用できないという意味で)PCがあるならPCの方がより良いかもしれません。

「受験勉強は成功を目指すより、失敗しない意識の方が結果的に成功できる」と述べた通り、やるべきことをしっかりやれる方が強いです。言い換えると、現代は勝手に成績が落ちていく状況が多すぎます。ついついスマホをいじってしまう、SNSを覗いてしまう、youtubeを観てしまう、友達と遊んでしまう、趣味に気を取られてしまう、新しい参考書に飛びついてしまう、他人の言っていることに翻弄されてしまう。株取引で言うところの損切のラインを徹底して守るような取り組み方が受験勉強では理想です。

 また、勉強の効率を上げたり、本番を想定できたりする勉強道具は事前に揃えておくと良いでしょう。勉強タイマーや耳栓、イヤーマフ、マークシート用シャーペンなどはあると便利です。別に必要ないと言えば必要ないものですが、普段の勉強の質や試験の最適化のために一度は向き合っておいて損はないと思います。

子供にスマホを持たせるべきか論争も、今やAIの使用にまで広がりつつあります。あくまでそうしたツールは補助的な位置づけに過ぎないとしても、スマホ以上にAIの活用は確実に親を悩ませる問題になります。子供の好奇心や疑問を即座に解決するツールの力は驚異的です。

完璧主義より完了主義

 1冊の参考書を完璧にするぞ!と意気込むより、1日10ページを30日続けようという目標設定の方が続けやすく終わりやすいと言われています。こうした意識の問題、心がけの問題ひとつで結果が大きく変わるということが勉強では頻出します。逆に言うと、なかなか勉強が手につかない、進まないというときには、そもそもどういった考え方や意識で取り組めば良いのかを考えるところから始めても良いと思います。

 完璧主義は一冊を“終わらせる”ことに意識を割きやすく、同時に完璧に終わっていなかった現実に弱く、受験勉強においては建設的ではありません。勉強とは何度も描き直すイラストのようなもので、完璧な細部を積み重ねるというより、全体に散らばる失敗の修正を繰り返しながら完璧に近づいていくものです。一方、完了主義は失敗が織り込まれているため、うまくいかなかったときの耐性が高く、うまくいかない原因とも向き合える精神状態になりやすい利点があります。とにかく7割くらいの力で先に進める点が大きい。失敗からの成長を最初から加味するのです。

 受験勉強では「参考書一冊を完璧にする」という文言がよく耳に入ってくるため、最初から完璧にする取り組みに囚われてしまう人が少なくありません。しかし、最初から完璧に近い精度で取り組むには勉強そのものの豊富な経験が不可欠であり、現役生が完璧に取り組もうとしても程遠い結果に終わることの方が圧倒的に多く、であるなら完了主義で「ひとまず進んでみる」を何度も繰り返す方が結果的に成長しているということです。

完璧主義は減点主義。完了主義は加点主義。人間は完璧ではなく、失敗する生き物です。受験勉強は失敗だらけ。どちらが建設的かは一目瞭然でしょう。ただ、減点主義は一時的なブーストとして機能しますから、それら2つの考え方を上手に組み合わせるなら、行動のエンジンとして減点主義的な見方を引き出したあとに加点主義に移行することです。

悩まないことの重要性

 受験勉強をしていると悩みは増えてくると思います。「この参考書を使い続けても大丈夫か、志望校に合格できるか、大学受験に失敗したらどうしよう」といった不安や悩みは誰しも多かれ少なかれ抱くでしょう。その中には学歴に囚われすぎて拗らせてしまう人もいますし、重圧によって精神的に不安定になる人もいます。人生で初めての大きな目標という場合もありますから、そうした気持ちになってしまうのもわからなくはありません。

 しかし、悩んでも仕方ないことに悩むようになったら、あるいは同じ悩みを反芻し始めたら要注意です。絶対に避けなければならない状態と断言できます。なぜかというと、悩みは脳のワーキングメモリ(短期的な作業台)を大きく占領してしまうからです。最初は小さな悩みでも、反芻し始めたら段々と大きくなり、目の前のことに集中することもできなくなります。ワーキングメモリが減ると、正確な判断を下すための情報処理能力も低下し、学習効率が大きく下がるだけでなく、長期的な記憶力も低下します。脳の余白(ワーキングメモリの余った部分)は遊びや探索の余地となりますが、それがないということは逆境において前向きに考えることもできなくなります(精神の不安定化)。

 永続的にパフォーマンスが低下する状態ですから、まさに百害あって一利なし。ですので、悩むよりも解決を考えること。解決を考えたら一歩ずつ進むこと。ここにマイナスはありません。そんな頭の切り替えができずに自滅してしまう人も多いのです。もちろん、実際は自分以外の何かによって引き起こされている場合もあるので簡単には言えませんが、もし悩みの原因が自分の行動にあるとしたら悩まない程度に調整するのも手です。どういう形であれ、自分の手に負えないから悩みが引き起こされているわけですから、自分の手に収まる程度にまで小さくすること、下げること、簡単にすることを優先してほしいと思います。ここに他人は関係ありません。

受験でもメンタルは結果に大きく影響します。メンタルが弱いなんて言うと恥ずかしい、認めたくないという気持ちが芽生えてしまうかもしれませんが、本当はメンタルが弱い自分を自覚しないことの方が恥ずかしいのです。それにこれはメタ認知ですから、自分を客観視できる思考力は他の人より一歩進んでいます。若い頃ほど自分が見えない。その中で結果を残す人たちは皆、他の人よりも自分が見えています。

受験勉強の準備

受験勉強の準備とは

 本格的な受験勉強を円滑に行うために、中学課程まで終わらせておく必要があります。これは知識として備えているだけではなく、自転車の乗り方と同じくらい自然にできる状態を目指します。例えば、英単語の意味を10秒かけて思い浮かぶ状態では足りず、0.1秒で反応できるまでです。

 難関高校の現役生は中学時代に大量の問題でそのように訓練していますが、高校偏差値60未満の現役生はそこまで問題に触れていないでしょう。高校の教科書に取り組む際に逐一思い出さなければならず、文章一つ読んでも理解するまでに時間がかかってしまいます。これでは効率が悪いばかりか、曖昧な理解を押し通す隙も与えてしまいます。国語なら語彙や文章読解、数学なら基本的な計算と用語の理解、英語なら単語と文法です。

 おそらく多くの現役生はここまでの準備をせずに、大学受験の範囲である高校基礎から取り組みます。実は開始地点に攻略の鍵があるという事実に気づかないまま出発し、受験勉強の中盤を過ぎた頃にようやく中学復習の重要性に気づき、それでもなお戻れないまま失敗の運命を受け入れるしかなくなるのです。「成功を目指すより、失敗しない意識の方が結果的に成功できる」というのはまさにこのこと。特に高校偏差値60未満の現役生は、立っている土台が不安定であるという事実にどれだけ早く気づけるかが成功を左右します。受験勉強は学習順序一つで結果が大きく変わるのです。

受験勉強のときは覚えていたけど、大人になってから忘れてしまうことは誰しもあります。しかし、本当に実力になっているものはマッスルメモリーのように身体に残っているものです。東大生が現役を離れてからも共通テストで高得点を獲れてしまうのも同じ。生物的な限界はあるとしても、すぐに現役時代に近い実力に戻せることに価値があります。自転車の乗り方のようになるまで身につけるとはそういうことなのです。

国語力の強化

 必要な国語力の基準は「教科書」です。教科書を読んで理解し、定期テストで高得点を獲れているなら問題ありません。もし、教科書を難しく感じ、もっと平易な参考書でなければ、あるいは先生に噛み砕いてもらわないと理解できないなら国語力の強化が必要になります。ただし、国語力は一朝一夕で伸びるとは限らないため、差し迫った受験勉強のために平易な参考書を用いることは否定しません。できたら本格的な受験勉強に入る前に、国語力の強化(学習効率の向上)が長期的にはプラスに働くということです。

 そして、小学・中学課程を終えた高校生とは言え、特に偏差値60未満の高校生は中学課程を理解しきれていない可能性が高いことからも、思考力がまだ未熟だった中学以前の復習は必須です。その場合、最初は語彙から始めます。小学・中学漢字、余裕があったら高校漢字まで完璧に網羅することが目標です。日本語環境下において「文法」は自然と身につけられている可能性が高く、薄い参考書に取り組んでおくだけで十分ですが、英語に繋がる文法用語は意識して取り組みます。形容詞や副詞といった文法用語を用いて他人に説明できるくらいにまでなれると理想です。

 その後は「中学国語読解」から「高校現代文入門」まで進みます。難解な現代文を除くと、理論上、現代文は100点を獲れるので、文章読解を徹底的に確認します。ここまで進めば、教科書を読んで理解することも難しくなくなり、参考書の選択肢も広がります。小学から中学、中学から高校と教科書の文章レベルが一段階上がるため、基本的に全ての高校生が国語力のチェックをしなければなりませんが、進学校を中心に、学校や塾の優秀な先生が上手に噛み砕きながら教えてくれるため、世間的には国語力の重要性がそこまで認知されていないかもしれません。

国語は「なんとか読める、なんだか言っていることがわかる気がする」という曖昧な理解から事の重大さに気づきにくいため、腰を据えて取り組む現役生は少ないかもしれません。しかし、SNSを見てわかる通り、子供のみならず大人であっても文章読解の問題を抱えているのは明らかです。国語力を軽視しなければ、勉強が得意になる可能性まであるので、本当にできるだけ早いうちから取り組んでほしいのです。他の科目と同等ではなく、他の科目の前提となる科目が国語です。

小学算数と中学数学の復習

 高校数学の教科書に取り組みながら、中学数学を補完して場合によっては小学算数まで遡ります。数学が大の苦手な人は時間の割に全く伸びずに受験勉強のやる気を削ぐ恐れもあるため、早い段階で受験科目から外すことも検討します。大学受験の先を考えると、本当は全ての人に取り組んでほしい科目です。

 中学数学の大部分を忘れてしまっている(とは考えにくいですが)なら、中学数学の教科書の問題を全て解き、問題を見た瞬間に答えを再現できる状態になるまで繰り返します。用語も同様に、例えば「関数とは何か?」と訊かれてもしっかり答えられるようになるまで繰り返します。もちろん、答えを丸暗記するわけではありません。日本語ならぬ数学語を使いこなすように、関数なら関数が身体に馴染む感覚を得ることが目標です。反対に、見知らぬ他人を見ているかのような感覚があるうちは足りていない証拠です。

 また、こうした復習は完璧にできるに越したことはありませんが、まずは高校数学に取り組みながら復習する動線を張っておくだけでも問題ありません。絶対にやってはいけないのは高校数学にだけ取り組み、その中だけで理解しようとすること。これが丸暗記を誘発します。数学は積み重ねの科目なので、(小学算数は特殊な位置づけとしても)中学数学から続いている感覚を常に意識してほしいと思います。

高校以降に『入門問題精講』のような参考書では理解できるが、教科書では理解が進まない場合、中学数学の基礎力不足を考える必要があります。わかりやすい参考書は“わかった気分”になれるだけかもしれません。「基礎力が足りていないから理解できない」問題を先送りしないように注意が必要です。

中学英語の復習

 英単語は中学と高校で明確に異なるため、必ず復習しなければなりません。文法に関しては理解度が低くとも高校英文法から取り組んで問題ありませんが、英文法は中学国語の国文法(日本語文法)の延長線上にあるものとして捉えたいため、高校英文法に入る前に国語力の強化は必須です。英文法の勉強とは、私たちの日本語と英語を(無意識に)対比させながら理解を進めるため、国文法が曖昧では英文法の理解も曖昧になります

英語の早期教育はよく議論になりますが、少なくとも日本国内で学生時代を過ごすなら、第一に母国語である日本語の力をできる限り高めてから英語に取り組んだ方がより良いと思っています。

 ただ、私たちは文法を意識しながら日本語で会話していないことから、国文法を軽視するのもある意味で当たり前です。日本語環境によって自然と身につけた日本語なのに、わざわざ文法という知識を導入する意味がわかりません。そのため、国文法から英文法ではなく、英語習得のための国文法と位置づけて中学の国文法を復習してほしいと思います。この意識づけの方が意味を見出しやすいでしょう。

 なお、子供にとって国文法のように「何のための勉強なのかわからないこと」があると思います。そうした場面で根本的な意味を求めていくのも大切ですが、それはそういうことになっているという割り切りも大切です。子供の純粋無垢な疑問は知的好奇心の原動力ですが、その知的好奇心を満たす答えは一種の哲学や学問の最先端でも足りないということが珍しくありません。つまり、受験勉強とは天井なき学問ではなく、あくまで大学に合格する仕事のようなものと解釈しておくことは意外と大切です。勉強している時点で「理解」とは常に妥協的な理解ですから、進んだ先で今よりも理解しているだろうと楽観的に捉えることも時には必要なのです。

国語力が数学や物理に与える影響は小さいと考えることもできますが、英語は同じ言語科目なので甚大な影響を及ぼします。それが英文法の習得には顕著に現れていると思います。現役生は特に文法理解に苦手意識を持ちやすく、とにかく英単語をたくさん覚えれば良いという思考になりがちです。

中学復習に必要な参考書一覧

【国語】
中学国語文法(学研プラス)』—国文法のみを扱っていて難易度も易しく復習に使いやすい。
中学国語力を伸ばす語彙1700』—言葉をより多く知っているだけで思考力も論理への感度も高まるため、漢字とは別にしっかり押さえること。
高校生の語彙と漢字 ゴイカン』—漢検4・3級の章が中学漢字の復習になり、漢検準2級と2級の章が高校レベルの漢字になっています。高校レベルの語彙も含まれているため、『中学国語力を伸ばす語彙1700』と合わせて大学入試に必要な語彙を網羅できます。もし、中学漢字が十分に備わっている場合は代わりに『上級入試漢字・語彙』に取り組みます。※どちらも桐原書店から出版されていて収録されている語彙600語はほぼ同じですが、『上級入試漢字・語彙』は高校漢字に絞っている上で3000語収録されているので網羅性は非常に高くなっています。

あまりに苦手な場合を除き、中学国語の読解演習は高校入門レベルで躓いたときに取り組むと効率が良いと思います。その際、中学国語の読解演習は教科書~高校入試基礎レベル。偏差値65以上の難関高校入試レベルになると、高校基礎レベルに匹敵するために復習としての意味を成しません。

【数学】
『教科書』—教科書の問題を一通り解けるようにすること。用語を理解すること。
『スタートダッシュ中学数学(東京出版)』—中学数学を概観しながら、3年間分の基本事項を100問で復習できる。教科書を省いて復習するならオススメ。

教科書、あるいはスタートダッシュ中学数学で用語理解と基本計算を完璧にすること。

【英語】
普通の英単語』—中学英単語の復習をしながら文法、および英会話に必要な知識が身につく実用性の高い単語帳です。コアイメージに関する情報が多いので、単語の意味に囚われやすい現役生には非常に役立ちます(特に捉えにくい前置詞や基本動詞)。せっかく英語を勉強するなら“使える英語”にする意味でも本書を最適解にしました。高校入門レベルまで含まれていることからも単語帳の冊数を抑えることができます。
速読英単語[中学版]』—中学英単語・熟語・文法・解釈・リスニング・長文を一気に総点検(音読も)できるので、この単語帳をマスターできたら中学英語の復習は終わりです。
DUO-elements』—中学英熟語は高校以降に後回ししても問題ありませんが、取り組むなら前置詞・副詞のコアイメージを理解できる本書を推奨します。これは中学英単語の理由と同様に、簡単な単語ほどコアイメージの理解に努めたいからです。特に熟語はコアイメージの形成が高校以降の熟語暗記に非常に役に立ちます。試験対策としてはベストではないものの、中学英熟語は簡単なので本書に早めに取り組んでおいても問題ありません。

中学英単語の復習だけなら『普通の英単語』、英単語以外は高校に後回しできるので『速読英単語[中学版]』は高校入門が終わったあとに取り組んでも問題ありません。速読英単語シリーズは多読参考書として高校以降も導入します。他にも優れた単語帳はありますが、現時点での結論はその2冊に落ち着きました。なお、『普通の英単語』は高校生の中学復習なら採用できますが、現役中学生には推奨しません。

受験勉強の開始前に(執筆中)

受験勉強のイメージ

科目ごとの勉強法と参考書(執筆中)

授業の活用

 人間は理解する際、書き言葉よりも話し言葉の方がわかりやすく感じます。書き言葉は書いてしまってからの訂正が難しくて読み手が都度補完する必要があるのに対して、話し言葉は話し手が都度補完できるので聞き手は受動的に情報を受け取ることができます。思考作業として楽な上に、未熟な側が補完せずに済む利点も大きい。

 つまり、授業は導入として、あるいは難解な事柄を噛み砕く機能としてかなり優秀です。これを活かさないのはもったいない。授業は学校や予備校、学習塾、スタディサプリ、youtubeなど自分がわかりやすいと感じたものなら何でも大丈夫です。個人的には何度も見直せて質が担保されているスタディサプリをオススメしています。

 では、具体的にどのように受験勉強で活用するのかと言うと、教科書と併用して「講義系参考書」を省略するために使います。授業で科目(単元)の概観を掴み、教科書で正確な理解を深める。これは「国語力の強化」で述べたように、受験勉強では教科書を読み込んで理解する国語力が必要です。やむを得ない手段として講義系参考書を用いるのも悪くはありませんが、教科書の文章よりも冗長的でタイパが悪く、教科書の文章を読んで理解できない人が実際の入試問題をしっかりと解けるようになるとも、受験勉強が順調に進むとも思えないところがあります。理解を促す目的なら講義系参考書ではなく、授業まで振り切ってしまう方が良いということ。

高校生に中学生でもわかるような語り口で教えてくれるものは、受験勉強に必要な国語力の問題点を後回しにしてしまう懸念が大きいということです。教科書を読んでそれなりの理解ができる、定期テストで高得点が獲れているならそういった参考書は必要ありません。もちろん、理解を“深める”ために講義系参考書を用いるのはありです。講義系参考書がないと理解できない状態は国語力の強化を第一に考えます。

国語
数学
英語
生物
化学
物理
地学
日本史/世界史

歴史科目は問題形式によって知識の覚え方が異なるので、第一に『教科書』を辞書代わりに『過去問』を解きます。そこから何をどう覚えるべきかを導き(体系化の土台)、必要な参考書に取り組むという方針です。例えば、共通テストなら用語や年号の暗記はあまり必要ありません。国公立と私立でも、さらに大学・学部によっても出題傾向が異なりますから過去問分析が得点に直結しやすい科目です。

【歴史総合】
『教科書』

【日本史探究】
『教科書』

【世界史探究】
『教科書』

他の科目であればアウトプットによって実戦力を養う必要がありますが、歴史科目はほとんど知識をそのまま答えに当てはめることができます。覚え方が全てと言っても過言ではありません。

地理
公共・政治経済・倫理
情報

番外編(執筆中)

子供ならではのタイミングの難しさ

 日頃からコツコツと勉強しておくに越したことはありませんが、子供はまだまだ未発達・未成熟なところがたくさんあります。特に小中学生の頃は勉強よりも遊びばかりなんてことはよくありますし、勉強したからと言って、必ずその年齢で理解できるかどうかもわかりません。子供の場合は特に年齢による限界値のようなものの影響が大きいということです。

 受験には「早生まれ論争」があります。子供の頃のほとんど1年に近い差が理解力の差となり、成功体験の差となり、自信の差となり、合否を分け、一生足を引っ張る可能性があるということ。個人的な意見としても、子供の頃の1年の差は重く受け止めているのですが、前向きに捉えれば、高校生になってからの中学復習が功を奏することもあり、中学生の頃に成績が悪かったとしても悲観しすぎることはないと言えます

 例えば、大人が小学課程を学び直したら、半年もあれば6年間分を終えることはできるでしょう。中学3年間の勉強も3年間なければ復習できないわけではなく、それなりの理解力を備えるようになったら数ヵ月でできてしまうものです。その瞬間に理解しなければならないと無理をすると、それこそ一生足を引っ張るかもしれません。大学入試は待ってくれませんから自分が合わせなければならないものの、勉強するタイミングひとつで思わぬ結果に繋がるのが子供の受験勉強です。

いくら子供が勉強を頑張る姿勢があっても、親子の関係一つで瓦解することもあります。受験勉強をろくに知りもしない親からの一言にイライラするのはよくある話。子供によっては初めて“たったひとりで向き合う人生の大きな課題”ですから、精神的に余裕がなくなるのも当然ですし、それによって一生振り回されるコンプレックスを抱えてしまうなんてことも起こり得ます。

塾なしの受験勉強にかかる費用の目安

『ChatGPT-Plus』『Google Gemini-Advanced』など―優秀な家庭教師としても、知的好奇心を満たす話し相手としても、悩みを聞く相談相手としても極めて優秀です。ただし、あくまで補助ツールとしての位置づけに留めます。大学受験の相談相手として十分と言えるレベルなら月額3000円の課金が相場です。また、1つのAIだけでは回答が偏る恐れがあるため、理想を言えば2つ以上に同じ質問を投げてほしいと思います。

その他中学復習から考えたときの参考書代を追記予定です。

中高一貫校の優位性と条件の違い

 大学受験を効率的に考えるとき、現在の教育機関の中では間違いなく中高一貫校が有利です。多くは高校受験を経て大学受験を目指しますが、大学受験を想定すると遠回りです。重複する部分はあるものの、高校受験の勉強がそのまま大学受験に活きるわけではありません。その点、中高一貫校では高校受験が不要であること、大学受験を想定して中学時代を過ごせること、中学時代から高校課程の先取りがしやすいことなどが挙げられます。

 もし、完全に大学受験のことだけを考えたら高校も行かずに高卒認定ルートの方が効率は良く、さらに小学校と中学校も受験勉強に役に立つものだけを取捨選択し、何なら幼い頃から海外に住んで英語を身につけてしまうなんていうことも思い浮かびます。友達もいらないと考える親も現れるかもしれません。

 何が言いたいのかというと、受験勉強において、そうした条件の違いを押さえた上で語らないと意味がないということです。例えば、英語の幼児教育に力を入れた子と全くそんな経験のない子ではリスニング対策に必要となる時間は異なります。中高一貫校で真面目に勉強していた子が半年の受験勉強で東大に合格した、1日の勉強時間は3時間だったなんていう話は同様の条件を持たない人にはほとんど参考になりません。にもかかわらず、世間一般では条件の違いを考慮せず、学歴という権威に引っ張られて鵜呑みにしてしまう人がたくさんいます。自分に合った勉強法や参考書は詰まるところ自分にしかわからないという前提で情報を得てほしいのです

プロ野球の世界では「名選手は名監督にあらず」と語られています。これは受験においても同じことが言えます。学習塾や予備校の先生には名選手がたくさんいますが、名監督、すなわち個々の生徒のパーソナルな部分を十分に加味した上で最適なアドバイスができる人はそう多くありません。全国有数の進学校から東大に進学した人に、非進学校から東大に進学するためのアドバイスはすぐに出てきません。集団授業と個別指導の優秀さも異なります。受験上位層に定評のある先生と勉強が苦手な子に定評のある先生も全然違うのです。

学習塾や予備校の価値

 優れた参考書が揃い、AIによって疑問点も即座に解消できる現代において、学習塾や予備校にお金と時間を投入する価値があるのかという疑問を持つ人は徐々に増えてきているでしょう。この疑問に対して、個人的な結論を言えば「小中学生にとっては環境的な利点が無視できず、東大や医学部のような最難関大のボーダー付近にいる人にも意味がある」と今のところは考えています。

小中学生はまだまだ環境的な影響を大きく受ける時期ですから、相性が合うなら環境(先生や他人)によって勉強への興味関心が高まり、習慣が確立するまでの効果を望めます。また、東大や医学部のような最難関大は合否を分ける難問や試験の独自性に対しての壁があり、そこをボーダー付近の人が乗り越えるには同様の試験を突破した先人の指導が活きる可能性が高いです(参考書やAIによって代替しにくい)。

 もちろん、合格のための戦略立案や進捗管理、科目指導などにも価値はあるのですが、高校生が手取り足取り指導を受ける姿勢は建設的と言い切れず、将来的に自立しなければならない以上、自らの手でAIをはじめとしたツールや参考書を使いこなしながら勉強する方が応用力が高くなるのは間違いありません。下手に子ども扱いせず、できたら大人と同等の自立心と実践的な思考力を養成する方針がより良い。逆に学習塾や予備校はAIによって代替される部分を念頭に置きながら、現代に合わせた指導の形を模索しなければならない時期に入っています。もし、曖昧な基礎力を改善するなどの根本的な指導をせず、時間を引き延ばすような教え方をしているとしたら悪質です。指導を必要としなくなる指導こそが理想と思います。

優秀な生徒なら学習塾も参考書もいらない時代であることは間違いありません。AIによる学習サポートで十分。既存の学習塾はAIによる学習サポート前提で教えていくことになってもおかしくありませんが、そうなると先生の大半が必要なくなります(=現在とは異なる価値を提示しなければならない)。先に述べたような一部の生徒と先生が現在の学習形態のままかろうじて存続し、それ以外の生徒はAIによる効率的な学習方法を学ぶだけです。自分ひとりでできるようになる最短距離の指導を意識すると、現在の学習形態から大きく変わっていくのは間違いありません。

 また、最難関大を想定しなければ、ほとんどは基礎力の問題に帰結します。入試標準レベルまでをきちんと押さえられたときには旧帝大や早慶、地方医学部にも合格可能です。そして、この基礎の習得は他人から教えてもらわなければならないほど難解ではなく、適切な学習順序と参考書、AIを駆使すれば、やるべきことは明確で覚えるのみと言っても過言ではありません。これらを踏まえて、大学受験対策として年間約100万円のお金を投入する価値があるのか。個人的には「実用性を強く意識しながら受験対策も兼ねる」といった位置づけが多くの受験生にとってちょうど良く感じています。東大や医学部のような“大学の価値”が無視できないなら大学受験対策に振り切るのも止む無しですが、それ以外の大学なら実践的な思考と普遍的な能力の向上を意識する方が建設的なはずです

小中学生なら単純に勉強を好きになることの価値が大きいのですが、もう半分は大人である高校生が未来を見据えたとき、果たして大学受験にだけ振り切る学習塾や予備校の過剰なサービスに価値を置けるのか。結果として大学に合格できたとしても、その先は明るいのか疑問です。ただ、そうは言っても半分はまだ子供である事実も踏まえると、自分ひとりでどうにかすることが無理難題に映るうちは無理しない方が良い。段階的な学習と成長を提示し、自立を促してくれる学習塾の力を借りる方が賢いです。

音と論理の類似性

 幼い頃から音楽的なレッスンを重ねた子は絶対音感、あるいはそれに近いまでの音感を備えるという話があります。こうした絶対音感を備える人は他人の歌を聴くとき、音程が外れたことにも敏感に気づきます。音の識別と正しい音の感覚が身体に刻み込まれているため、人によっては不快感を覚えるほどはっきりとその差異を認識できます。これと論理性がとても似ているのです。

 論理は音の感覚と同じように、当たり前の人にとっては当たり前であるために「わからないことがわからない」という感覚を抱くことがあります。論点が定まらない支離滅裂とした人は「支離滅裂である自分」をなかなか認識できません。それは音痴の人が音程を外していることに気づかないのと同じように見えます。論理は頭で理解することも可能は可能ですが、直感的・感覚的な理解も伴っているため、頭で理解できたとしても感覚的に理解できていないと何だか気持ち悪く感じます。音程が外れたことを指摘されても、自分は合っていると思い込んでいるからです。感覚的な理解が追従しないと頭でも理解できない場合もあります。逆に高い論理性に対して、正しい論理性を備えている人は気持ち良さを感じるはずです。最初から最後まで正しい音程で歌えている方が心地良い。

正しい論理性を身につけることは、勉強の意義の中でも大きなところと思っています。正しい論理性を身につけられていない人は生涯にわたって他人に迷惑をかけたり、騙されたり、伝染させたりする可能性まであるからです。非常に厄介な点は自分では正しいと思い込んでいること。自分の感情とは別に、客観的に正しいか、間違っているかを何度も確認して訓練できる勉強は論理性を育むには有効な手段です。

 受験では特に現代文を“センス”として語りたくなる理由も、現代文を解くためには論理的な思考(感覚)が不可欠だからです。それが高いレベルで備わっている人ならほとんど勉強らしい勉強をせずに高得点が獲れてしまいます。これは初めての曲を聴いて歌うとき、絶対音感を備えている人ほど正しい音程で即座に歌うことができるのと同じです。音痴な人は何度も何度も曲を聴いて、正しい音程を確認する必要があります。そして、私たちは論理の習得を考えるときについつい意識的な解決を試みますが、実はもっと感覚的な理解、すなわち論理性を耳から学ぶような試みがより有効な手段として考えられるのではないかと結論づけています。ついでに言えば、論理によって情報の質も高まれば、記憶の定着率も高まります。勉強の得意不得意とは言い換えれば情報の質の差、情報の質の差を決定づける論理性を伸ばせるだけ伸ばしたいのです。

なぜ、親子の会話が大切か。なぜ、進学校の環境がより良いのか。これは耳から入る言葉の論理性が高ければ高いほど、身体に正しい論理の感覚が刻まれるからです。逆に非論理的な環境で育った子供は論理の習得(訂正)に非常に時間がかかります。これは勉強が苦手になる決定的な原因になり得ます。では、この大きな問題を回避するためにはどうしたら良いのか。今ならAIの論理的な回答に触れ続けるのも一つの手ですし、身近にいる論理性の高い人との関わりを増やすのも非常に有効な手段と考えます。

ひとまずここまで。続きはまたそのうち書きたいと思います。

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